Pipette Vol.10
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10第 回10キュリー夫人 (マリア・スクウォドフスカ・キュリー)ポーランド生まれの物理学者・科学者。パリで学び、放射線の研究で1903年にノーベル物理学賞、ラジウムとポロニウムの発見により1911年にノーベル化学賞を受賞した。1920年にキュリー財団を設立、1925年にはキュリー研究所を故国のワルシャワに設立。パリのラジウム研究所を指導し、娘夫婦は1935年にノーベル化学賞を受賞するなど成果を残した。1934年、この受賞を知ることなく、再生不良性貧血により、66歳で没。キュリー夫人様 女性47歳検査結果報告書※キュリー夫人はレントゲン車に乗るため、自ら解剖学を学び、さらには自動車の運転免許と自動車整備技術も取得するという努力家だった。まるで、妖精の光※本編はフィクションです。キュリー夫妻は家計を切り詰めてピッチブレンド(鉱石)を購入した研究室まではぼくが運ぼう私が分析結晶の作業ねでも、重くて大変よまた、パンクだ1906年のピエール死去後も、キュリー夫人として第一次世界大戦時にはレントゲン車を提案開発、赤十字放射線局長として負傷兵の治療に貢献し、このレントゲン車は「プチキュリー」と愛称された検査項目結 果血球計数白血球数、ヘモグロビン濃度、血小板数がともに低値異常骨髄穿刺検査脂肪滴が多く、細胞成分が減少、赤芽球、巨核球、顆粒球が減少、リンパ球の相対的増加、白血病細胞は見られないその他の検査他に血球減少の起因疾患がその他の検査結果では推定できなかったので、放射線被曝の可能性を疑う※2人は自転車でフランス田園地帯を旅した2人は11トンのピッチブレンドから1グラムの純粋ラジウム塩の抽出に成功した1902年に夫妻の実験は成功翌年には、ノーベル物理学賞をラジウムのキュリー夫妻とウランのベクレルが受賞したこれが、放射性元素の放射線なの?大丈夫、新婚旅行(※)を思い出して頑張るさ妻・マリー夫・ピエール

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