Pipette Vol.15 Spring 2017
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6まった物質至上主義、高度経済成長以来の国や世界が、人を変えてしまっているからでしょうね。仏教が育んだ和の心日本ってすごい国で、1億以上の人たちが、親切で、やさしくて、頭がよくて、知性があって、礼儀正しいですね。こんな国はどこにもないと思います。アインシュタインがはじめて日本を訪れたときに、どこに行ってもすべての人が親切で、やさしくて、その上、知性があって礼儀正しいと驚嘆したそうなのです。江戸時代から寺子屋で、読み書きだけでなく何が大事か、そして、人になるということを学んできた。今は、金儲けするためにはどうしたらいいかしか教えない。価値と目標が違うんです。―物欲に走ってしまっていますね、今は。みんなそこで競争させられて、ちょっとズレたら負け組なんて言われますからね。アインシュタインは、どうしたらこんな人間ができるのだろうと、もう一回、日本人に会いに来ているんです。―そうなんですか。このような日本社会を作ったのは仏教です。豪族がいつも喧嘩をして、殺し合いが止まらない時代に聖徳太子が仏教という偉大な慈悲の教えを取り入れ、その難解な教えを「和を以て尊しと為す」という一言で表現して、国のあり方、人の心のあり方として示してくれた。その後、千年以上、延々と時間をかけて日本人の血となり肉となっていった。聖徳太子から80年ぐらい経ったときに天武天皇が現れます。各地にお寺を建て、家の中には仏壇を設けて、仏さまの経典を置いて仏教を学びましょうと言っています。次に、持統天皇がそれを継いで、そのあとに、偉大な仏教徒である聖徳太子と天武天皇の両方から名前をもらった聖武天皇が現れます。この天皇が、奈良の大仏さん、東大寺を造るにあたって発した詔が「動植共に栄えん国を」です。すべて命ある生き物と植物までが平和に育っていく国を作ろうと。聖武天皇の奥さんの光明皇后が作ったのが、日本で初めての孤児院ですし、ハンセン病の人を集め、自宅の庭にサウナや薬草園を造り、病にかかった何千人という人を入れ、自らの手で洗いました。仏教の基本的な戒律は、旧約聖書のモーゼの十戒とほぼ同じですが、それが日本人の中に千年以上、大事に育ってきているのです。ところが、明治維新という革命があり、そのときに最初に行われたのが「廃仏毀釈」で、仏教禁止令が出されたんです。仏教があると殺生ができない、戦争ができないからです。殺さない、ウソをつかない、人の物を盗らないという日本人が大事に育ててきた魂の根幹の部分をズバっと切ってしまったのが明治です。そして、わずか100年のうちに、日清、日露戦争、第一次、第二次大戦と計4回の戦争をやって、破壊し尽くしたわけです。戦後70年の間にもう一回、立ち直ろうという今、生きるテーマがまたも「物だ、カネ だ」になっています。もっと深いところに戻ったほうがいいのではとぼくは思うんですが……。偉かった家康―以前、NHKの大河ドラマ「徳川家康」で家康を演じられましたね。家康の心の奥にあったのは仏教観、仏さまの教えですね。家康が育つプロセスを見たときに、「あっ、これは仏教だ」と思いました。家康は7歳から19歳まで人質生活で、そのときに預けられていたのが静岡の臨済寺というお寺で、今川義元の大参謀、太原雪斎禅師のところです。家康はそこで大事なことを学んでいるはずだと思って、ぼくは、その臨済寺でいろいろ教えてもらい役作りをしました。7歳から19歳というのは、人間の基本ができる一番大事な時期です。そのときに禅宗の厳しいお寺で何を学んだのか、すごく重要な五観の偈(ごかんのげ)一 計功多少 量彼来処二 忖己德行 全缺應供三 防心離過 貪等為宗四 正事良薬 為療形枯五 為成道故 今受此食(意訳)一、この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。三、心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪など三つの過ちを持たないことを誓います。四、食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。五、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。

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