Pipette Vol.15 Spring 2017
7/12

●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 滝田 栄7ことを身につけたのではないかと。食事のたびに「五観の偈」(ごかんのげ)という短いお経を姿勢を正してあげるのですが、一つ目は、お百姓さんの苦労だけでなく、この食べ物がどのようにしてここまで来たのか?この食べ物をいただくだけの行いをしたかどうかを考えてみなさいというわけですね。二つ目には、人のためにどれくらいのことをやっているか、よく考えてみること。今日、人のために何かしましたか(笑)。―できていないです(笑)。テレビを見ながら食事して「うまい、まずい」と言っているなどとんでもない(笑)。家康は生涯、一汁一菜です。ご飯一杯、味噌汁一杯、おかずは一品しか食べなかった。人間50年と言われていた時代に、家康は75歳まで生きていますが、頭脳明晰で、冴え渡っています。どこで誰が何を考えているかを全部見渡して、絶対に戦争を起こさせないように手当てをしていました。そういう日本を実現して人生を終わっています。 三つ目には、本能的に人間が持ってしまっている「貪とん・瞋じん・癡ち」、自分がちょっとでもイラッとしたり、ムッとしたり、人を羨んだりしたら、その前に自分の貪りと怒りと無知が、どこから来ているのか静かに反省して、それを自分から取り払えということですね。家康は、「仇に報いるに恩を持ってなせ」と言いました。人からいやなことをされたら、自分がいやなことをされる原因はどこにあるのかをよく考え、それを反省して、恨んでくれた人に「ありがとう」 と言いなさいと。このように、寺で身につけた教えを家康は生涯にわたって活かしています。足るを知るそのほかに家康は「知足」という遺言を残しています。「足るを知る」すなわち、もうこれで十分です、うれしいです、ありがとうございます、ということです。彼は「天下は天下のための天下なり」とも言っています。自分は民百姓のための政治家である天下人だから、民百姓のためにおごり高ぶらず、質素な生活をし、足るを知ることを大事にしたんです。家康が死ぬ際も、「跡取りに慈悲の政治にふさわしからぬ者が出たら、みんなで話し合って、慈悲の政治を行える者を探してくれ」と。―民百姓のための世界を継続しろと。はい。二代将軍は「足るを知る」という言葉を清書させ、「仇に報いるに恩をもってなす」という家康の言葉と一緒に貼って、毎日、見ていたそうです。三代将軍の家光が江戸城に入ったときには、謁見の間にこの二対を掛け、家臣団全員に、「初代家康公の教えは絶対に守ろう」と言った。これが日本人のすごさを作りました。家康は人質生活の前の5歳から7歳までの2年間、信長のお父さんへの人質として織田家菩提寺に預けられ、読み書き、手習い、四書五経の講読をやって、すごい教育を受けています。結局、5歳から19歳まで、ずっと仏さまにかかわっているわけです。薬師如来というのは東の光を表し、太陽の夜明けの光です。薬師瑠璃光如来と言って、夜明けの七色の、きれいなガラスでキラッと光るような、命が新しく生まれてくるエネルギーです。家康は亡くなるときに、「私を東照大権現として日光に祀ってくれ。そうしたら、この国を守る神になって、この国の平和を守る」と言いました。東照大権現の東照は薬師如来、権現は如来の生まれ変わりのことを言います。こうして家康の魂が祀られました。―日光ですから、まさしく日の光。薬師如来として世の中を見守っていきたい、守ると言っていたわけですね。座禅と呼吸法―座禅は、比較的入りやすい入り口でしょうか。だら~とした日常から離れて、肉体をシャンとさせることが目標だったら、座禅よりもスポーツをしたほうがいいです。大河ドラマ「徳川家康」昭和58年NHK放送。平均視聴率31.2%最高視聴率37.4%浄土宗の経文である「厭離穢土欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)は家康が生涯掲げた旗印。「苦悩の多いけがれたこの世をいとい離れたいと願い、心からよろこんで平和な極楽浄土をこいねがう」意とされる。©NHK

元のページ 

page 7

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です