Pipette Vol.16 Summer 2017
8/12

8第 回16吉田 松陰吉田 松陰(よしだ しょういん)江戸時代末期、長州藩の兵学者・思想家・教育者。11歳のとき、藩主への御前講義で評価される。アヘン戦争後の西洋列強による清国支配や外国船の来航への危機感から九州・東北の海防を視察。25歳のとき、門弟金子重輔と下田から黒船に密航の上、アメリカ留学を企てるが失敗。自首して、その後は獄中や謹慎の生活を送る。生家謹慎の2年間、松下村塾で講義する。松陰は「尊王攘夷、皇国一君万民」さらには「北海道の開拓、琉球の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満洲・台湾・フィリピンの領有」も主張して、明治維新とそれ以降の日本国のあり方に大きな影響を与えた。高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎、伊藤博文、山縣有朋など門弟多数。自らの刑死により長州藩の討幕運動を加熱・加速させた。30歳没。※松下村塾の塾生には、情報を収集し将来の判断材料にせよと説いた、これが松陰の「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。※本編はフィクションです。このままでは列強の植民地。日本は滅びる〜国禁破りですね…飛耳長目(※)は我が信念。僕はあの船に乗る!吉田松陰様 25歳検査結果報告書検査項目所見と検査結果ダーモスコピー検査発疹部を削った皮膚組織より疥癬の虫体、卵殻を顕微鏡検査にて確認。参考皮膚所見・症状背中、腹部に小丘状の発疹を認め、夜間に激しい痒みを伴う。患部に疥癬トンネルを確認。痒(かゆ)くてたまらん大事の前の治療第一…夜分、何をしている?ここは村民の湯なり。 お武家? 訳ありか?拙宅へどうぞ。一八五四年、ペリーが浦賀に再来。松蔭は金子重輔とアメリカ密航を計画。患った疥癬(かいせん)を治療しながら時を待った。ペリー提督と話したらいいよ。幕府とは国交交渉中。君たちをアメリカには黙って連れていけない。ペリーソーリー。未遂なりとも国禁破り。自首しよう!25歳伝馬町牢獄(江戸)↓25歳野山獄(萩)↓26歳生家謹慎(萩)↓27歳松下村塾で講義↓29歳野山獄(萩)↓30歳安政の大獄(伝馬町牢獄)↓30歳刑死厳しい国法を犯し知識を得るために命をかけた2人の教養ある日本人の激しい知識欲は興味深い。この不幸な2人の行動は日本人に特有なものと信じる。日本人の激しい好奇心をこれほど現すものは他にない。日本人のこの特質を見れば、興味あるこの国の将来には、何と夢に満ちた広野が、何と希望に満ちた期待が開けていることか!極楽!医師村山行馬ほうれん草好きかい?至誠通天!

元のページ 

page 8

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です