Pipette Vol.21 Autumn 2018
3/12

●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 齋藤 孝3感じです。自分の中で抱え込んでいるだけでは次へ向かえない。「暗黒の10年」では、自分の思いがガソリン燃料となって溜まっていくイメージです。大学院生として自分の考えをひたすら掘り下げてという毎日で、鬱うっ屈くつしてしまいました。この問題は自分が一番考えているだろうという、研究者としての自負は当時ありました。けれども、評価もないし報酬もないので、「社会性」が若干育ちにくかった(笑)。人は「場」がないと力を発揮できないですから、32歳で、大学で教える立場になり、自分の言葉で学生たちに伝えるようになって、霧が晴れたということですね。―10年間、人前であまり話されなかったわけですが、自分は話すのがうまいという自覚がそもそもあったということでしょうか。人前で話すのは、小学校時代からかなり自信がありました(笑)。いかようにでも話せる、と。けれども、その「場」がなかったわけです。ノーチャンスの10年。当時はとにかく本を出したかった。「結果を出せ」―霧が晴れた先生は、1年で30冊以上の本を出されたこともあります。ほぼ10日に1冊ですね。「暗黒の10年」時代には、〝結果を出せ〟という言葉を自らの支えにされたそうですが、少し結果の「出しすぎ」では(笑)。その後、体調を崩されたこともあったそうですね。『声に出して読みたい日本語』が40歳くらいのときの本です。それがベストセラーになって、TVとか出版の仕事が一気に増えてしまいました。自分の体の調子が悪くなるという発想はなかったのですが、働きすぎというか、夢の中でもパソコンで原稿を書いていて、文字で会話までしている。寝ている時間まで仕事が入り込んできた時期でした。夜遅くまで仕事をして、朝早くから仕事をするという寝不足がいけなかったのだろうと思いますね。―まさしく寝食を忘れて、仕事に没頭されたわけですね。ええ、何かを食べたという記憶もないくらい(笑)。美輪明宏さんから「齋藤さん、とにかく寝なきゃ駄目よ」と。やっぱりそうか、と(笑)。不機嫌を上機嫌に変える―先生は、「気分をコントロールする身体を作って、いつも上機嫌な人になろう」と提唱されています。一方、病気というのは、「身体」の病いであるとともに「気」の病いでもあり、負のスパイラルで、そうそう上機嫌にはなれないわけですが、どう考えていけばよいでしょうか。そうですね。いい循環に入るきっかけとして、意識して自分の身体を「軽やかに」していくということがあります。例えば、何かをする前に2、3回ジャンプする。授業などで大学の教室に入るときも、そうするとテンションが高めになることに気づきました。学生にも軽くジャンプし、ハイタッチしてからディスカッションに入らせます。そうすると上機嫌になります。割と簡単に上機嫌になれるものなんです。私の場合、「暗黒の10年」の間は不機嫌でしたから、攻撃性となって表れていました。今では、上機嫌で学生に注意することもできます。重く注意すると、最近は学生の心が折れてしまうことがあります。言葉のやりとりもテンポよくしてもらいます。スポーツでいう「球回し」がよくなると、学生たちも機嫌がよくなります。―意識して上機嫌になるというのは、相手丸田 秀夫

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る