Pipette Vol.23 Spring 2019
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6きな施設を作られた方もいらっしゃいます。1階は認知症の方、2階は学生さんが住んでいて、学生さんが介護を手伝うとポイントがついて、賃借料が安くなるという仕組みだそうです。幼稚園もあるし、認知症の軽い人はお食事処やバーや居酒屋にも行ける。外出の服装も自由だそうです。一つの「町」ですね。子どもたちの声も聞こえている。画期的な取り組みだなぁと。―海外では、アルツハイマーの方が住めるオランダのホグウェイという施設も有名で、「認知症の人だけが暮らす村」と呼ばれています。この「村」には劇場まであります。福島でも、病院と保育園が隣り合わせで、誰でも行けるレストランがある。施設に病院特有の「臭い」もしないように工夫している。いつもの生活の延長にある施設が作られています。―昔はよく見かけた田舎のコミュニティそのものですね。そう、手をつないだり、そこはすごくアナログじゃないといけないと思っているんです。今の都会では、おじいちゃん、おばあちゃんと同居していない子どもは、どう接したらいいのかもわからないようです。手をつなげばわかり合える 日本人は日常的に手をつなげるかというとなかなか(笑)。私は義母と手をつなぐことは何があってもやりました。それは自分の心を整理するためです。相手がうれしいのか喜んでいるのかの答えがわからず、今日一日イライラしたままで終わりたくないから、自分から手をつなぎました。夫婦でもそうでしょうし、手をつなぐと、今日はそれでチャンチャン。子育てで息子とも心のすれ違いがあったようなときや、カリカリしてしまったときに、母親のプライドもありますから、「ごめんなさい」よりは息子と握手です。よく考えると、こういう触れ合い方は義母との関係から生まれた、いろいろ考えた結果の方法だった気がします。―逆に、ご病気でもなければ義母と手をつなげるかというと……。できないですよね(笑)。義母と手をつないでいたせいか、その後、自分の母とも抵抗なく手をつなぐことができました。ありがとうという言葉が支えに ―ものを言えない患者さんが、何を思っているのかをくみ取ることについて、ご体験を通じてどう思いますか。人の心を読み取るっていうのは難しいですね。私は義母と暮らす生活の中で、一生懸命相手のことをわかろうとしました。夫は実の親子の関係にありますが、後半は私のほうが義母とわかり合っていたと自信を持って言えます。寄り添って触れ合ってあげるというのは、本当に努力しないと難しい。相手の性格もありますから、触れ合ってくださいと言っても、「今更それはどうしてもできないんです」と言う方もいらっしゃいます。その方には「今はできなくても、このおじいちゃんと触れ合って、最期はお別れしたい」って思うだけでも違いますよ、それでいいじゃないですかって。私が20年介護したことがえらかったねということではなくて、1年で感じた人はそれで十分です。わかってあげるのは、本気で優しい心で寄り添うことだと思います。身近なところでは親や夫婦。「ありがとう」という言葉を生活の中で使っていないと、急に手をつなぐ、ハグするなんてことは到底できない。―最後は荒木さんの気持ちが通じて、荒木さんじゃないと駄目という状況になったわけですね。私は夫に手を貸してと言ったことはないんですが、夫がいつも「ありがとう」と言ってくれていたからできたんです。介護されている方も、手を貸してくれとは思っていないけれども、心がさみしいし、毎日の生活は追いかけてきます、「ありがとう」って言われれば、自分も「ありがとう」って思える。言葉の力で現実と向き合う力が芽生えてくる。私は息子にあたってしまった

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