Pipette Vol.24 Summer 2019
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●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 夏井 いつき5などが一気に五感で再生されていく。これが季語のメカニズムなのだそうです。「ハンカチ」も夏の季語ですが、ものとしてのハンカチだけではなく、ハンカチで汗をふくときの経験が再生されていく。すべての脳の分野が動くということを、俳句の側の人間としておそろしく実感できました。私は、季語を五感プラス連想力の6つの成分からなると考えて、六角成分図で分析しています。認知症予防という点では、五感が刺激され、常に何かアンテナを張ろうとする意義がある。また句会に出かけるという効果。うちの句会では、「組長、1か月分、笑いに来ました」とおっしゃる。バラバラの年齢層や職種の方で、俳号以外、本名も住所も知らない人たちが、みんなでコミュニケーションして大笑いしながら学びます。「今日のあなたの句すばらしい、心にきた」と褒められるとモチベーションも上がる。さらに口紅を差したり、男性でもピンクのシャツを着たりと、普段しないようなおしゃれをちょっとだけして来られる。認知症予防のキーワードからすると、俳句に親しみ、句会に来ればすべてOK、という実感がありますね。俳句で自分を客観視できる─句会では自分の俳句が共感される、他人の俳句に共感するという側面がありますね。俳句を選ぶときに共感は大きな理由です。同じ体験をして、その方の気持ちが流れ込んでくる気がした、つらい思いをしたのは自分だけじゃない、とそこで共有できる。俳句をやり出したみなさんは、どんな嫌なこともつらいことも俳句の種になると言います。身内を亡くされてどん底の中で、悲しみを一句一句にすることが写経をするかのような、祈りを通じて心を鎮めていく効果もある。人によって、それが半年だったり数年かかる場合もありますが、そうした効果をみなさん感じているようです。─つらいという思いも客観的に見えてくると。その通りです。自分を客観視するという装置を俳句は持っています。子規の闘病生活最期の俳句である糸瓜咲いて痰のつまりし佛かななどは、もう幽体離脱です。自分を上から見て、「そうか、おれは痰が詰まって死ぬのか。庭にへちまの花が咲いているなあ」と、ひょうひょうと客観視できるようになっていた。この客観視というのは、家族関係だって当てはまります。お姑さん、奥さん、親子の確執みたいなものも、俳句が間に入ることですぐに腹を立てないで、ちょっとだけ気持ちが沈静化するための時間を稼ぐことができるようになる。40歳近くまで引きこもっていて、働きにも外にも行けない人がラジオで私の番組を聞いて、俳号という架空の名前で投句してみようと思い立ったら、そこから人生が全部変わりだしたという方もいらっしゃいます。─すばらしい俳句の効果ですね。視覚障害の仲間たちもいますが、彼らになぜこの句を選んだのと訊くと、「こんな空が見えてきた」「こういう人物が現れて、おかしくて笑ってしまいました」と。俳句が「見える装置」にもなるということです。果てしない効果をもっているのに、こんなすごい俳句を広めないでどうするのか(笑)。私はそればっかり思っています。おウチでも俳句が作れる でも、30年近く人様に俳句を教えてきて、「季語の現場に行きましょう。季語の現場に立つことが五感で感じるうえでとても大切なんです」とさんざん言ってきましたが、3、4年前に、「自分は外に出られない病気を抱えています。そんな私たちは、俳句をする資格がないのですか?」と、六角成分図での季語比較 『夏井いつきの季語道場』(NHK出版)より

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