Pipette Vol.25 Autumn 2019
3/12

●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 池田 清彦3両親は「バカだから仕方ない」と思っていたんじゃないかな(笑)。―すべての人に同じ生き方をさせようとするところが違うんですね。そうだね、それが不思議だよね。未来は何が起こるかわからないのだから、今、楽しいことをやればいいという考えが、日本人はとくにない。今、苦しいのは未来で楽をするためという考えに、すごく犯されていると思うね。だから、親は「勉強しろ」と言うし。何で勉強するのかというと、「将来、いい会社に行って、いい地位に就いて楽をするため」というわけでしょ。若い人には将来のためにと言ってもいいけど、60歳、70歳の人に、将来のために何かしろと言っても、将来がないんだから仕方がないじゃない(笑)。そういう思考のまま年を重ねていくから、年を取ったときにうつ病になったりするわけですよ。未来志向はいいことだと、みんなが思っているけど、ある程度まで年齢がいったら、未来のことは考えないほうがいい、未来がないんだから(笑)。―ある程度とはいくつくらいでしょう?60くらいになったらかな。楽しく生きている人は、今日と明日のことだけ、あるいは近未来のことだけを考えているよ。来年はヨーロッパに行って、こういうことをしたら楽しそうだとかね。「再来年は?」と聞くと、「再来年については、来年になってから考えればいい」というふうに。ちょっとずつ先のことを考えていれば楽しいけど、20年後どうするかとなると、20年後には墓の下かもしれない(笑)。がんで末期になった人でも、生き生きと生きている人はみんな、今日、明日の楽しみだけを考えている、先のことを考えると落ち込むからね。先日、親友で文芸評論家の加藤典洋さん(1948─2019)が亡くなったんだけど、彼は病気になってから詩を書くようになった。一日、一日、新しい詩ができるというのが生き甲斐だったと思うけど、亡くなる直前まで元気だったね。ぼくは傲ごう岸がんにも、彼の詩を添削して、「ここはこう直したほうがいい」とか言って、加藤さんは素人にわかるかって顔をしてたな。人生の達人になる―死ぬのは怖いということはあるでしょうが、やるべきことはやってということでしょうか。今日、やるべきことをやって、楽しいこともやって、今日が終われば、明日は明日のことということなんだろうね。それから、自分の病状を客観的に考える余裕みたいなものがあるんでしょ。正岡子規(1867─1902)が死の2日前までを綴った凄絶な随筆集『病牀六尺』では、一辺六尺四方の狭い病床で、それを楽しみ、草花を写生したり時評などの感想を述べたりと、俳句に新世界を拓いた。ほかの人から見たら、どんなに悲惨であっても、それを楽しむ余裕がある人というのは、人生の達人だよね。―そのような人はすばらしいですね。人のことをうらやましいと思ったり、人の真似をしたりというよりも、自分で楽しむ余裕を持たないと……。ただ、ある程度のお金がないと生きていけない。そこそこのお金があれば、自分がやりたいことをやったらいいんじゃないかな、明日はどうなるかわからないんだから。

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る