Pipette Vol.25 Autumn 2019
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4明日、富士山が噴火して、火砕流で死んでしまうかもしれないし。ああすればこうなると、自分の人生を単線的に考えている人、たとえばエリートで、トントン拍子で出世の階段を上がっていって、自分の人生が全部見えているような人は、そうならなかったときの挫折感はけっこう大きい、そこでキレてしまう。だけど、どうなるかわからないと思っている人は、こうなったときに、またそこから考えればいいということになるから打たれ強いわけだ。ぼくは、普通の人のように、学会に入って、学会の偉い先生に頭を下げて、就職のお願いをして、ということはしなかった。たまたま運がよくて、山梨大の講師になった。昔は講師になると終身雇用で、講師は助教授待遇。助教授にならなくても、教授にならなくても、給料は増えないけどクビになる心配はないから、いやなことはやらないで、学会の動向も気にしないで、好きなことをやっていればよかった。ぼくの友人で助手になったら、偉くなる必要がないからって、万年助手のやつもいたからね。そういう生き方で自分はいいと思えば、それだってかまわないわけだよ。―つい、人と比較してしまいますが。どうしてもね。それは人間の悪いところで、隣の芝生が青く見えるんだね。また、まわりが比較するでしょ。そのときに同じような学位があって、同じように業績があるのに、あいつは教授で、何であいつはまだ助手なんだろうとか。出世することだけが目的の人は、いつ追い落とされるかわからないから、何となくいつもビビっているところがあって、自分より偉い人の言うことはペコペコ聞いて、自分より低い人に対しては威張り散らすみたいになってくるんだよね。異分野横断の必要性―ところで、最近は自分の考えややりたいことを持って大学に行くという学生が少なくなっているような気がするんですが……。そうね。大学院でも、「先生、どんなことをしたらいいでしょうか」と聞く学生がいる。そんな学生は、大学院に来る資格はないね。研究したいから大学院に来るわけでしょ。今は、大学院の博士が5人いると、一人ぐらいしか教授になれない時代。うっかりすると大学院は出たけれども、プー太郎になってしまう。昔は、異分野横断の研究会がけっこうあって、医学部から、文学部から、哲学者からみんなが集まって、ごちゃごちゃしていたけれど、おもしろかった。今は門戸が狭くなって、自分の学会にしか行かなくなってしまったから、自分がやっていること以外は知らなくて、あまり広がりがないんだな。自分ですべて考えるというのは天才以外滝野 寿いい加減くらいが丁度いい池田清彦著。70歳を過ぎた今だからこそわかる「言ってはいけないこと」を直言。(角川新書)真面目に生きると損をする池田清彦著。病気と医療、教育や環境、格差社会などの諸問題を独自の視点で一刀両断。(角川新書)

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