Pipette Vol.25 Autumn 2019
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6虫捕りにも行かずに、50日ぐらいで最初の本を書いたんだ。―そんなに短い日数で。そう。柴谷先生が激賞の序文を書いてくれて、その本が売れて、何刷りかになってね。次の年にもまた1冊書いて……。それまでは固い原稿を書いたことがなかったんだけど、その頃は、原稿って、書けばどんどん書けるんだと思ったね。―手書きでですか。今はワープロで書くけど、その頃は、下書きなしで、いきなり手書きで書いて、そのまま出版社に持っていって、それで本にしちゃう。最初の頃の本、たとえば『構造主義科学論の冒険』は、今でも絶版にならないで売れているよね。〝アンチ・エコ〟でテレビに登場―テレビに出るきっかけは先生の著書ですか。2006年に、『環境問題のウソ』という本を書いたんです。それを、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ)という番組のディレクターが読んで、環境問題に対してその当時、アンチの立場だった工学者の武田邦彦さんやぼくに、番組でしゃべってくれというオファーが来たんですよ。「人為的温暖化なんかウソ」とか言っていたわけです。―そのときの流行りに対してアンチの意見も必要ですからね。一番おもしろかったのは、あるタレントさんが、「北欧に行ったら、環境問題に対する意識がものすごく高くて、二酸化炭素も出さないように、みんなでがんばっているんですよ」と言ったんだ。「あなたは、北欧にどうやって行ったんですか」と聞いたら、「飛行機ですよ」と。「飛行機に乗ったらエコではないでしょ。めちゃくちゃ二酸化炭素が出るんですよ。泳いでいかないと意味がないですよ」と言って笑ったんだけどね。みんな、そんな程度で、雰囲気で「エコ、エコ」と言っているけれど、実際にわかっている人は少ないということですよ。そのような環境問題の話をしているうちに、今度はフジテレビが出てくれないかということになって。『さんま・福澤のホンマでっか!?ニュース』という番組で、3カ月か4カ月に1回、その間にあったニュースのランキングのうち、ベスト10位から専門家がコメントするんです。そのときに、エコのニュースなどについて、武田さんやぼくがコメンテーターとして呼ばれたんだ。池田先生は、本誌「ピペット」の創刊号に登場いただいた養老孟司先生とは、35年来の昆虫採集仲間とか。愉快な思い出話に花が咲きました。1985年、柴谷篤弘先生の構造主義生物学の国際的なシンポジウムで、養老さんにはじめて会いました。ぼくはまだ助教授の30代で、養老さんは教授になったばかりの40代。養老さんは大酒のみで、こんなに飲むんだったらそのうち死ぬだろうと思ったけど、まだ生きているね(笑)。養老さんは57歳で東大を辞めたんだけど、その前から「虫捕りに行こう、行こう」と言っていて、でも医学部の教授だったからなかなか行けなくて……。大学を辞めてから10年ぐらいの間、毎年1〜2回は一緒に行っていたね。最初にタイに行って、それからベトナムにラオス。ベトナムには2、3回、タイにも3、4回、ラオスには4回は行っている。国内も行ったけど、海外のほうが多かったな。ぼくは山梨大学教育学部の教授をしていたので、学生を連れて虫捕りに行くんだけど、養老さんもうちの学生と一緒に虫捕りをしていたね。養老さんは小さいゾウムシなんかを捕っていたな。そしたら、うちの学生が養老さんに「おじいさんになって、そんな小さい虫を捕ってどうするんですか」なんて失礼なことを言ってね。養老さんは「おじいさんになって小さい虫を捕っているわけじゃなくて、虫を捕っているうちに、おじいさんになったんです」と(笑)。養老さんとは虫捕りだけのつきあいではなく(笑)、今ちょうど「AI」についての対談をしていて、それをまとめて本にする予定。AIは、生物がやっていることを機械にやらせてみるという話で、アメリカでは人事採用にもAIを導入している。AIは差別を固定するので、養老さんもぼくもちょっと心配しているところなんだ。養老孟司先生とは昆虫採集仲間!コナラシギゾウムシ

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