Pipette vol.30 2021.1 Winter
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まったくおいしいものもいただけず、やっとの思いで帰ってきました。その後、元主人がまた釣りの番組で長期のロケで留守になりましたので、ちょっと検査にでも行こうかしらと思い、当初内科の普通のかかりつけの先生のところに行きましたが、もちろん食中毒のような症状は改善していましたので、問題なしということで先生と雑談をしている時、私が何気なく「ねえ、先生、更年期障害ってもう始まる頃?」などと伺いました。生理の周期の乱れは更年期障害かしらと思っていたのです。それが大きな間違いだったのです。娘を出産した病院だったので「出産してから検査してないし、もうだいぶたつから、しておいたら?」ということで婦人科に連れて行っていただき、すぐに細胞診をやりました。まだ38歳でしたし自分ががんなんて絶対に120パーセント、200パーセント思っていませんから、検査結果を聞きに行くときも普通どおり自分で運転して「先生、来ました」みたいな感じで行きました。そうしましたら先生が、「うーん」、何かすごく言いにくそうになさって…。映画で見たワンシーンのような感じになりまして、「大丈夫ですから、先生言ってください」と。それで私のほうから促して先生から言っていただいたのです。それで、「はっきり申し上げて子宮頸がんです」と告知されました。それでもがんに対して無知だった私は「盲腸みたいに1週間とか2週間で済むのですよね」などとお話をしたら、「うーん、もしかしたら、長くなったら6カ月ぐらい」と先生がおっしゃるのです。何となくじわじわと背中から冷たいものが押し寄せてくるような感じになりました。自分の車に戻ってハンドルを持った途端に、何か分からないですけれども震えが来て、涙が滝のようにあふれて、「まずい、これヤバい、どうするのよ」みたいな感じになって、やっと実感が湧いてきました。ましてや子供達はまだ6―最近の仁科さんのお仕事と、大病されてから仕事に対して何か心の中で変化したことなどありましたら、お聞かせ願えますでしょうか。コロナ禍の中、エンタメ業界は非常に苦戦しております。私などは細々とやっています。昔からのんびりと仕事をさせていただいておりましたが、お引き受けさせていただいた仕事に関しては生来の負けず嫌いと、母譲りで責任感も強い性格で自分なりにきちんとさせていただいていました。年齢的にも仕事はぼつぼつスローペースで、自分のペースを守りながらやっていきたいなと思っています。コロナと重なり、私よりもマネジャーが苦労していると思います。―もちろんご病気や子育てもありましたが、その辺りの心境の変化には何か特別なことはありますか。をやっていました。そして、前の夫といろいろな事情でお別れしてから、まだ子供も中学生と高校生でしたから、何とか一人前にしなければいけないなということで芸能界へ復帰させていただきました。―大病もご経験なさったとお聞きしております。はい‥38歳で発症した子宮頸がんをはじめ4回大きな病をし、手術もしました。そして胃の手術後、腸閉塞で管を入れたり、1週間絶食絶飲だったり、点滴で1週間ぐらい入院したり、幾度となく病院のお世話になりました。そのたびに「もう駄目か」と皆さんがお思いになって、「何かまた復活してきたらしいよ」と驚いて下さいます(笑)。 私どもの仕事というのは、好むと好まざるに関わらず皆さんがご心配してくださって、報道されてしまいますので。―ブログで、病院からおうちに帰った時に、お手伝いさんの格好をして家から病院に戻られたと読ませていただきました。それは38歳子宮頸がんの時のことだと思います。元の主人から「長期の海外ロケの準備ができない」と、困ってSOSが来ましたので、パジャマにガウンのまま2時間外出してやってきたということです。長男が生まれた時にすごく病院の前にマスコミの方たちが来てくださってしまったので、それを回避するためにお手伝いさんに抱いてもらい、運転手さんと夫婦のような様子をして息子だけ先に出したということもあります。―少し聞きづらいことで恐縮ですが、最初のがんが見つかった時は、何か自覚症状があったのでしょうか。2泊3日で「おいしいものを食べに行きましょうよ」というツアーをしたのです。九州の友達もいらしたので、前乗りで九州の福岡に集合しました。お寿司屋さんで、みんなでご飯を食べに行きました時、私だけあたってしまったのです。けれども子供達もおりましたし皆さんと一緒に行くので、必死になってまいりました。台湾のホテルで上へ下への大騒ぎで一歩も部屋から出られず、大病からの最近の近況病気のこと       325歳の時に結婚して、20年間炊事・洗濯・育児38歳の5月の連休でお友達のご家族と台湾に

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