Pipette Vol.5 Autumn 2014
2/12

22011年3月11日に起こった東日本大震災において、宮城県石巻というエリアで、それぞれの立場からどのように立ち向かったかを振り返りながら、復興に向けた展望と課題について3名のゲストに語り合っていただきました。近江弘一(石巻日日新聞社長)犬飼とも(ワタノハスマイル代表)長原信行(石巻市立開成仮診療所技師長)石巻日日新聞の体験から空気自体が人を飛ばす近江 地震発生時は新聞社内にいましたが、その日、地震は続けて2回あり、1回目はたしかに強い地震だったけれども、いわゆる宮城県沖地震が来たとその時に思いました。これで終わるんだったら、まあ、けっこう大丈夫なんじゃないか、築30年以上の当社のビルもこのぐらいだし、と。その瞬間に、2回目として今度はすごいのがどーっと来たんです。これはもう表現できなかったですね。空気自体が人を飛ばすような感じでした。体験したことのないすごさでしたね。外も見たことのない揺れだし、もちろん、会社の中は竜巻のようになってしまっていました。―被災者の実感や職業人としての使命感のようなものはありましたか。近江 その時点ではまだなかったです。それは、津波がないからです。当社の記者も、コンビニが一番映像的に状況がわかりやすいので、そこに走って行きましたね。近い経験が邪魔をした近江 津波は来るとは思いました。けれども、実は、前年の2月28日にチリ沖地震があったんです。その時に津波警報が出た。日曜日は休刊なんですけど号外を出すからと全員を呼んだんです。けれども、潮位の変化は1メートルくらい。その時は、今回の津波で壊滅的な被害のあった南浜、門脇地区の方は逃げたんです。みなさん、昭和35年5月のチリ地震の記憶があったから、逃げるんです。けれども、「なんか、来てないね」と警報解除される前に自宅に帰っちゃったんです。それと、大震災の2日前、3月9日に大きな地震がありました。その時も津波警報が出たのですが、同様で、みなさん、避難所にもあまり行かなかったんです。高をくくったというよりも、大津波というところまで一気に線が結ばれなかった。近い経験が邪魔したと思うんです。今回は、当社も報道部ミーティングの時間に地震が起きたので、それぞれが消防本部や市役所、海岸とかに取材に散りましたし、配達員も雪の予報から早めに出発させた。その直後の津波で数日連絡もとれない記者やスタッフもいました。(電気が止まったので)車のナビのテレビで震災情報を取っていたら、すごい勢いで、津波が来た。大きな製紙工場や日和山があるので、そこを津波は直角に左折して、瓦礫とか車とかが波に乗ったまま向かって来た。「ヤバい」とすぐ社屋に入って2階に上がったんですが、声にならなかった。余震がすごいし、また津波が何回も来るだろうから大変なことになるだろうなと。助かるとは思っていなかったです。蛇田地区石巻赤十字病院石巻消防本部開北橋各ゲストの活動拠点 石巻日日新聞社 石巻市立病院 開成仮診療所 ワタノハスマイル凡     例家屋全壊または一部損壊区域水没・床下浸水区域非浸水区域大街道地区南浜町・門脇地区魚町地区鹿妻地区渡波地区近江社長自宅湊地区日和大橋中里・バイパス地区JR石巻駅内海橋石巻高日本製紙石巻港日和山石巻大橋石巻市役所北上川石巻市沿岸部の被災状況万石浦石巻湾31244321

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です