Pipette Vol.5 Autumn 2014
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●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 近江弘一 長原信行 犬飼とも3世界的に有名になった壁新聞―そういった中で津波の翌日から壁新聞を出されました。近江 壁新聞はたまたま、マスコミの方とか報道の方が、同業者が振り返るための道具、賞賛のための道具として評価されているのですが、マスコミと少し違う地域紙のわれわれとして、(壁新聞を)手書きでしようと私が言い出したのは、ただ道具が変化しただけです。輪転機が使えない、でも紙はある。で、どうするかとなると、最後は手です。ハンドメイドって、フッと気がついた時に、一番手元にある方法なんです。津波が来て、まだ少し明るい時に新聞社のまわりを歩いて、どういう状況か、ある程度、確認しました。みなさん濡れていたり、着の身着のままだったり避難所の体育館の天井が落ちたというので外に出された人たちとか、いっぱいいた。せっかく助かったんだから、やらなければいけないことがたくさんあるんだと思ったんです。何を書かなければいけないのか。どういうことを伝えたいのか。結論は、まず第一にある程度の大まかな事実をしっかり書く。見出しは希望の持てるものにしよう。被害の後追いだけはやめよう。3日目ぐらいになると、市役所から避難所の所在地や避難されている方の人数とかのデータが来て、それも手書きしました。お父さんが働いている地域の避難所に千人いるとわかれば、お父さんは生きているかもしれないと希望になります。「壊滅状態」といわれているけれど助かっているかもしれないという希望になるだろうと。3月11日の夜、車の中でそういう筋書きで書いていこうと手帳にメモしました。やはり、方針が重要ですから。―手書きですから誰でも書けるので、頼りない印象もありますが、壁新聞はなぜ信用されたのでしょうか。近江 一生懸命読んでいただけました。もうすぐ一〇〇周年を迎えるという会社だったわけですが、その信頼というのは部数の問題ではなくて、存在の問題なんです。だから持っているペン、紙、情報のすべてを最大限活用し、しっかり伝わる表現をしよう。これ(壁新聞)をやらなかったら、震災後、正常になった時に、誰も続けさせてくれなくなると考えました。石巻市立病院の体験から職域を超えた対応長原 当時150名の入院患者を抱えて津波で病院は孤立しました。1階は浸水、電気は全部止まって、物が動かないという状況だったので何が必要かというと、近江社長同様、手と足、頭数なんです。連絡をするにしても、院内ピッチとか携帯で話ができないので、階段を上り下りしながら、「こういう状況になりました」、「こういうプロフィール●株式会社石巻日日新聞社・代表取締役社長。1958年、石巻市渡波生まれ。大学卒業後、マリンスポーツ用のウエットスーツの製造・販売を知人と展開、営業責任者として24年間勤務。2006年5月、「地域貢献」を人生の活動テーマに据え、地域活性化事業として社会人サッカークラブ「コバルトーレ女川」を設立。同年6月、石巻日日新聞社取締役総務局長。2009年6月より現職。近江弘一Oumi Koichi2011年3月12日から3月17日まで発行。2011年第59回菊池寛賞、2011年Interna-tional Press Institute Special Citation、2012年日本記者クラブ賞特別賞壁新聞

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