Pipette Vol.5 Autumn 2014
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4方針になりました」という連絡を全部、人がやらなければいけない。私たち臨床検査技師も、日ごろの職種間の役割分担を超えて、いくらでも協力できると思いました。震災翌日には、私たちも病院横の川から水を汲んで、水洗トイレの水を流すためのバケツリレーも担当しました。午前中の被災であったら―歴史に「もし」はないのですが、仮に午前中の外来患者さんの多い時間にあのような地震や津波が起きていたら。長原 当院は耐震性の高い建物ですから、地震でどうこうはなかったので、外来患者さんは、自分の家族とか家とかが心配になって、ましてや歩いたり動くこともできる人が多いので、薬をもらうとか診察が中断したりすれば、すぐにでも病院を飛び出していけるわけです。高いところから見下ろせば、海面が上がってきていることもひしひしとわかりますが、海岸の道路にはのんびり自転車をこいでいるおじいさんがいる。病院から山側の門脇小学校のほうも、波さえ見なければ、数分前と何も変わっていない。それを危険だと感じることは、たぶん、人間にはできないと思います。次の瞬間、地獄のような境目がそこにあるということなのに。だから、絶対に病院から出さないようにすることなのですが、自分さえ安全であればいいのかという気持ちも抑え、「いや、安全にしていてください」というのは、その状況ではなかなか無理かなと思います。実際に、内科部長の先生が見舞い客2名が帰ろうとするのを必死で止めました。午前であれば、そういう人が病院から一斉に飛び出したのではないかと思います。―もっと悲惨な状況になっていた可能性がありますね。長原 ええ。日頃、訓練をしていますから、あの地震で揺れが来た時にも、すぐに災害対策本部が病院の中に設置されました。例えば、避難してくる患者さんがいるとすればトリアージ(※負傷者の重症度、緊急性に応じて治療の優先順位を決定すること)を考えてというところまで、医師を先頭にして、そういったものは全部、組んではいるんです。ただ、津波に対しては、まったく、そういうものは役に立たないですね。何もできなくなってしまいました。ミッションを変えたDMAT長原 孤立した病院から患者さんをどう安全な環境へ移送するかという点で、外部とのコンタクトは何回かありました。警察のヘリコプターや護衛艦からのヘリコプターとか。今にして思うと、あのころは海上を浮遊している方とかを救出するための任務が優先されていたのでしょう。とりあえず建物の中で安全が確保されている人たちのことは、その時に、すぐにどうこうしろという状態ではなかったんだろうと思います。胃がんの外科手術を中断しなければならなかった患者さんを移送して手術を再開する必要があり、外科部長や事務次長が海水や瓦礫の中を市役所へ行って談判し、ようやく静岡のDMATが派遣されることになったのです。が、DMATの隊長が現場を見て、「こんな状態は聞いていない。これは患者全員を救出しなければならない」と即断され、その後、患者全員の移送が実現しました。プロフィール●石巻市病院局医療技術部門技師長。1959年、北海道旭川市生まれ。1985年東北大学病院検査部入職。2002年、石巻市立病院臨床検査室副技師長として赴任。東日本大震災時、海の近くにあった市立病院で勤務中に被災。日和山の仮設診療所を経て、市内内陸部の開成仮設診療所で、仮設住宅の入居者に寄り添った医療に従事している。2012年より現職。長原信行Nagahara Nobuyuki

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