Pipette Vol.9 Autumn 2015
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●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 林家木久扇3は募集したんです。「ぼくの芸名をつけてください」って。通常は、師匠から、いい名前をいただくものなんです。それを策略といいますか(笑)、ひとつのイベントとして、1年間、笑点の視聴率を引っ張ったんです。「名前をつけてください、ぼくの芸名がなくなります」。それが視聴率の数字と、ずーっとつながったんです。「木久蔵さんがどういう芸名になるんだろう」と。それまでの襲名披露は、東京都内だけで行われていたんですが、ぼくらのダブル襲名が初めて全国80カ所を回って、しかも音楽ホールを使って2000人ぐらいの会場を埋めたんです。落語を広めるために相当貢献したと思うんですがね。ラーメン党も笑点の頭の挨拶から発想したんです。ぼくたち芸人は巡業旅が多いんです。そうすると、楽屋で店屋物を取りますよね。カツ丼か、ラーメンが多い。後輩にご馳走する場合にカツ丼のほうが全然高いんです。ラーメンは安い。ぼくは各地の事情に詳しくなって、みんなが、「仙台に行くけど、どこがおいしい?」とか、仲間が聞きに来るんです。いちいちメモに書くのが面倒臭いから、ラーメン新聞という手作りのものを作って楽屋で配っていたんです。そうしたら、新聞記者が面白いというので記事にして、それでラーメン党誕生になったんです。今のラーメンブームはぼくが作ったんだと自負しています(笑)。 今度、「木久扇ナポリタン」という商品を作りました。2020年の東京オリンピックのときの、外国人用のおみやげにしようと。いろいろな媒体、ラジオでしゃべったりして、だんだん盛り上げているところなんです。そういうことを大変がらずに面白がってやっているんです。―楽しんでやっていらっしゃるなというのが伝わってきます。ええ……(笑)。なんでも、ほんとにやっちゃうんですよ。「いやんばか~ん」も、笑点の桜祭りというサンフランシスコ・ロケで、笑点の大喜利をやったんです。アメリカだから、答の中にジャズを入れたら受けるんじゃないか。で、セントルイス・ブルースに気がついたんです。あそこではじめて、答の中で「いやんばか~ん」を歌ったんです。意味がわかった白人が、面白いと手拍子をしてくれました。プロデューサーは真っ赤な顔をして「駄目だ、駄目だ、やめろ」と言ったけど、ぼくは通してしまった。で、日本に帰ってきたら、愛川欽也さんのイレブンPMでも毎週やってくれて、ワーッと流行った。ぼくにはそういう遊び心があって、場面をもらってしゃべる以上は、それを花開かせて、面白いメッセージを届けよう、笑いで世の中を動かそうということなんですね。―発想が柔らかいのですね。ええ。なんでも、稼ごう、稼ごう、商品化しよう、商品化しようとしていますから(笑)。日本橋の商人のせがれですからね。喉頭がんも笑いに変えるぼく、タバコは喫わないんですが、昨年、喉頭がんになったんです。7月の頭から空咳が出て、風邪薬を出してもらって、いくら飲んでも治らない。うちのカミさんが「お父さん、これから夏になるのに風邪なんかおかしいわよ」ということで、大学病院の耳鼻咽喉科の先生に診てもらったんですが、7月、8月、9月は言葉が出なくなって、廃業まで考えました。笑点も降りなくてはいけないんじゃないかと。自分が商品ですから、行かないと出演料が発生しませんし、ただのおじいさんになってしまうわけです。それがとてもいやで、

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