Pipette Vol.12 Summer 2016
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英国の南ウェールズ生まれで日本国籍を持つC・Wニコルさん。長野県黒姫で約30年「アファンの森」を育て続けています。かつては地元で「幽霊森」といわれ放置された地も、現在は「癒しの森」として再生されています。明るく光が射し、鳥や虫たちの声があふれる中で、心が豊かになるお話をうかがいました。お相手 宮島 喜文(日本臨床衛生検査技師会 会長)震災と日本人宮島 2011年6月の第60回日本医学検査学会で、私は学会長としてニコルさんに市民向け特別講演をお願いました。テーマは「森からみる未来」。東日本大震災の発生直後で、学会の開催も危ぶまれましたが、幸い学会には、被災県会員を含め多くの参加者を得て、盛会に終わりました。それから5年。熊本地震が起こった直後に、再びこうしてニコルさんとお会いしています。何か宿命のような感じもあります。ニコル 日本に来て54年です。5年前のことは昨日のことのように覚えていますよ。でも、昨日のことはあまり覚えてない。おそろしいです(笑)。宮島 東日本大震災があり、国民のみなさんが元気をなくしていたときに、命と自然の大切さを語っていただいたことが、強く記憶に残っています。ニコル 日本はね、震災が起きる国です。それは日本人の性格に大きな影響を与えていると思います。立ち直る力がある。ただ、ぼくから見ると、すぐに忘れてしまう。でも、忘れているはずだけれども心の中の傷は残っている。5年前の震災のあとで、われわれは人の心のことを心配していたんです。だから、東北のいろいろなところに招待状を出しました。「森に遊びに来ませんか」と。16年前から、われわれの招きで、虐待を受けた子どもたちとか、目の不自由な子どもたちとか、人生に不公平なことがある子どもたちがこの森に来ているんです。そういう経験があったから、震災で恐ろしいトラウマを持ってしまった子どもたちに、「3日間だけですが来ませんか」と招待したんです。それまでは子どもたちだけが来ていましたが、この震災のあとは、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんも、子どもと一緒に来なければ駄目ですと言いました。この森に来たら、ぼくたちは子どもたちと遊び、「大変でしたか」なんていうことは、一切聞かない。もし、話がしたいんだったら、こちらはもちろん聞きますが……。「手伝って」ニコル 宮城県の東松島からやって来たみんなは、すごく喜んでくれました。そうしたら、思いもしないことが起きました。「学校を高台に移動するんですが、その高台は暗い森なんです。明るい森の中の学校づくりを手伝ってください」と言われたのです。宮島 それが「森の学校」なんですね。そういうきっかけがあって、森の学校づくりが始まったのですね。ニコル ぼくは一度OKと言うと、死ぬまでやるんです。あのとき、ぼくは生きている間は東松島の人たちのじいち私の中では子どもを助けているというよりは、助けられているというほうが大きいのです

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