Pipette Vol.12 Summer 2016
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8す。自然の中で子どもたちを遊ばせたりしないと駄目だと思います。宮島 日本には1962年に来られた?ニコル ええ。戦争が終わって17年経ったときです。敵国の若者なのに、日本のどこに行っても嫌な目に遭ったことがない。ほんとうに日本が好きです。宮島 ニコルさんが日本に来られたときから、日本は高度成長に入ったんです。でも、まだ田舎のほうは、古い風習が残っていましたね。ニコル あの時代、日本料理でいちばん大好きだったのは、「今日何もない料理」。「今日何もない」というのは、最初ぼくは料理の名前だと思っていたんです(笑)。場所によって「何もない」という料理の内容は違っていたけれど。宮島 「何もないけど、手づくりのこれでも食べてください」ですね(笑)。ニコル はい。「とりあえずビール」と「何もない料理」がいちばん好きです(笑)。疲れたら癒されればいい宮島 私の仲間の臨床検査技師会員は全国に6万人近くいます。その人たちにメッセージをいただけますでしょうか。ニコル みんな、困っているときに病院に行くでしょ。そのときに、困っている人たちの面倒を見る人たちの面倒は誰が見るのかが気になります。ぼくにとっては、それはこの自然です。宮島 私たちも疲れたら癒やされて、また病気の人に接する。一緒になって疲れていては駄目ということですね。私も東京にいるときは単身赴任で、週末は長野に帰るんです。帰るとまず山の傍に行くと落ち着きます(笑)。ニコル そうでしょう。街にいないと生活できないってほんとうかなって思いますよ。ぼくは孫が5人います。じいちゃん、ばあちゃんは、孫と楽しむ余裕がある生活がいいのではないかな。東京に行こうと思ったら、ここからでも4時間、5時間で行けるんですから。だから、もっとこのすばらしい自然に包まれて、愛情と汗をゆっくりかけて、じいちゃん、ばあちゃんがつくった野菜を「何もない」けど用意して(笑)、孫たちが遊べる舞台を、もっともっとつくればいいのではないか。自然の中での経験が、生きる力をつけ、生き抜く力になることを、日本人はもっと知って、これからを担う子どもたちにも体験させてあげてほしいと願っています。宮島 本日は、充実したお時間を共有でき、ほんとうにありがとうございました。私ども臨床検査技師も、医療人として最大の貢献を目指すとともに、日本人としての自覚や誇り、深い反省と将来への責任をかみしめながら歩んでいきたいと思います。ただし、時々は森に癒されながら、ですね(笑)。 *次回は、柔道家の古賀稔彦さんをゲストに迎えます。お楽しみに。「今日何もない」というのは、最初ぼくは料理の名前だと思っていたんです(笑)プロフィール●1940年英国南ウェールズ生まれ。作家、環境保護活動家、探検家。エチオピア・シミエン山岳国立公園長、カナダ水産調査局淡水研究所主任技官などを務める。1980年長野県に居を定める。1986年、荒れ果てた里山を購入し『アファンの森』と名付け、森の再生活動を始める。2002年「一般社団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」を設立して森を寄贈、理事長となる。著書に『勇漁』(文芸春秋)、『風を見た少年』(講談社)ほか多数。近著は『アファンの森の物語』(アートデイズ)、『「身体」を忘れた日本人』(山と渓谷社・共著)。シー・ダブリュ ニコルC・W Nicol
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