Pipette Vol.13 Autumn
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10第 回13華岡 青州華岡 青洲(はなおか せいしゅう)現・和歌山県生まれの江戸時代の外科医。通称雲平。医師の長男として、京都に出て古医方、カスパル流外科、伊良子流外科などを学び、父のあとを継いで開業。麻酔薬の開発を始め、実母と妻を治験対象に全身麻酔薬「通仙散」(別名、麻沸散―まふつさん)を完成。妹を乳がんで失った経験から「通仙散」を使った乳がん手術は152例に及ぶ。青洲の第1例手術は米国のW・T・G・モートンによるジエチルエーテルを用いた初の麻酔手術(1846年)より40年以上前のことであった。有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』(1966年)で青洲の名は社会に認知された。医塾「春林軒」を設け、1000人を超える門下生を育てた。64歳没。藍屋 勘 様 女性60歳検査結果報告書※三国志の英雄・曹操の典医であった華佗は、医者の待遇の低さを残念に思い帰京するが、虚偽の帰京理由に怒った曹操は、華佗を投獄して拷問の末に殺してしまう。死の直前、華佗は医書を獄吏に委ねたが、華佗本人(または獄吏の妻)によって燃やされてしまい現存しない。民衆から「神医」と呼ばれた華佗の麻酔薬「麻沸散」を使った外科手術を含む医術は伝承にとどまる。※本編はフィクションです。華佗さま……わしは日本の華佗たらんよう言った雲平よ!庭で毒草を栽培して自分や犬・猫で薬効を試験した兄さんの痛み止めは飲んではならんものですかし猛牛に乳を突かれました乳岩不治。自古然。(にゅうがんのなほらざる いにしへよりしかり) 女性の乳は命につながり、切ってはならないとされてきた。青洲は乳をえぐられた救急患者に外科手術を施して、これが迷信であったことを確信した。 母と妻(治験後に失明)の献身により、麻酔薬・通仙散が完成したある日、乳がんの患者が訪れた。先生、急患です! 神医・華佗※すまん毒が強すぎるのじゃ……妹・於勝を乳がんで亡くしたよし、手術だ!お願いしますわかりましたがんをとりましょう藍屋利兵衛の母 勘終身麻痺。不覚痛痒。(つひにみまひし やうつうをおぼえず)青洲著「乳巌治験録」より検査項目所見と検査結果マンモグラフィ不整形の腫瘤像といびつな石灰化像(カテゴリー5)乳房超音波検査不整形の腫瘤像(カテゴリー5)血液検査CEA=32ng/mL(基準値:5以下)、CA15-3=126U/mL(基準値:25以下)組織検査組織学的には、浸潤性乳管癌

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