Pipette Vol.15 Spring 2017
3/12

●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 滝田 栄3くんです。粘土の場合は足していけますが、木彫は一度取ってしまうと、あとがない。そのへんのコツは、ある程度必要ですね。見事な運慶率―運慶や滝田さんの仏像のように精緻で迫力があって力強いものもあれば、木喰や円空のような素朴で稚拙にも見えるようなものなどさまざまあると思いますが。仏さまは、一人ひとりに必要な姿となって現れていただけると言われています。ぼくは、運慶さんが大好きですが、運慶さんはあくまでも権力者のための仏像です。庶民一般のためには絶対に彫っていないですよ(笑)。運慶派の人たちは、いわば国家公務員で、国に雇われた人たちです。天皇、将軍などの偉い人のために仏像を造っていたのです。ただ、運慶さんが編み出した「運慶率」という姿全体の比率は見事だなと思います。髪の生え際から下唇までを「ひとつ」と言いますが、このひとつに対して肩幅がいくつ、背はいくつ、手の長さはいくつというようにして絵を描いていくと、ほんとうにすばらしい仏さまの姿に描けます。思いつきで仏さまの絵を描いても、なかなか決まらないんですが、運慶さんが究めた比率でやると、ビターっと決まります。ただ、表情に関しては、彫る人の求めるお顔になります。ぼくは、運慶さんが彫った仏像に最初に触れたときに、「あっ、すごい」と思って惚れてしまったんですが、自分も座禅をして仏さまの教えを心で昇華していく作業をしていくうちに、威厳や威嚇、上から目線というのかな(笑)、運慶さんたちの仏像は、そういうものにこだわりすぎていると思うようになりました。庶民のための仏像それに対して、木喰さんや円空さんは、庶民のために彫ったんですね。「木喰」というのは、本来、行の仕方のことで、生涯、木の実と草しか食べないという志を立て、実際にそのように生活した僧のことで、木喰さんも円空さんも同じ木喰の行者です。完全なベジタリアンで、お釈迦さまも木喰だったわけです。ぼくは円空さんの作品がわかりやすいと思いますが、畑を耕している人たち、道を直している人、家を建てている人、普通の生活をしている人たちのために、なんの気取りもなく彫られて、手渡していった。字も書けない、読めない人たちもいた時代に、仏さまの教えをどのように伝えようかと思うと難しい。そういう人に対してでも仏さまの思い、祈り、慈悲を彫り込んで、これが仏さまだと手渡す。すごくやさしいですよね。ぼくは、仏像は目で見る仏、手で触れる仏であり、経典だと思っています。―円空や木喰の仏像は、一般庶民、さらには子どもでも手に取って実感できたのですね。ええ。鎌倉時代の運慶さん、快慶さんの流れを汲んでいる慶派の人たちは、権力者のために、下々の人が見たらびっくりするような、思わず手を合わせてしまうようなすごい仏像をたくさん造りましたが、その後、信仰のない、ただ彫るだけの作業になって、木偶(でく)という木の塊、形だけのものが多くなっていきますね。それから元禄の時代になって現れたのが、たとえば円空さんです。彼は名もない僧でしたが、権威と形に陥っていた仏教と仏像を、仏さまのやさしさをみんなに伝えるために、超シンプルな形に表現し、苦しみや悲しみを抱えた人々に、直接、手渡していった。これはすごい功績だし、革運慶(うんけい)平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。平安後期の定朝様(じょうちょうよう)の仏像は、浅く平行して流れる衣文、円満で穏やかな表情、浅い肉付けに特色があり、平安貴族の好みを反映似たのに対し、運慶の作風は、男性的な力強い表情が特徴的。木喰(もくじき)江戸時代後期の遊行僧。60歳を過ぎてから仏像を彫り始め、80歳頃には特有の微笑みを表現し、90歳代で心の底からの笑いを表した傑作を生んだ。「微笑仏」と称される。円空(えんくう)江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師。幼少期に母を亡くし、母への思いを仏像に込めたとされる。生涯で一二万体の仏像を彫ったともされ、デザインは素材を活かし独創的でシンプル、ナタやノミ、彫刻刀での一刀彫が特徴でゴツゴツとした野性味に溢れる。

元のページ 

page 3

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です