Pipette Vol.15 Spring 2017
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4命ですよね。そのとき、仏教と仏像がひとつ飛躍して、庶民にオープンになった。ぼくはそう解釈しているんです。円空さんは、仏像を彫るときにでる木っ端にも目と鼻をつけて、それも仏だと言って、みんなにあげたりしました。すべてが仏、どんなときも仏さまと一緒という真理を突いていると思いますね。仏像を通じた供養―ご家族や東日本大震災の被災者など、お亡くなりになられた方へのご供養という動機から、仏像彫刻を始められましたね。ぼくは、仏教の修行をしている中で、供養ということが、仏教の一番のハイライトだと感じています。命あるものは必ず死ぬときが来ます。そのあとの世界は、現存するぼくたちにはどうすることもできないし、手の差し伸べようのない世界です。母を亡くし、父を亡くし、そして、ぼくの大事な兄が後を追うように逝ってしまった時期がありました。すばらしい両親と兄を亡くしたときに、すごくお世話になったし、どのように感謝の気持ちを伝えたらいいかと考えました。お線香をあげてみたり、お花を飾ってみたり、お茶とお水をあげてみたり、いろいろしてみましたが、もっと感謝の気持ちを伝えられないだろうかと。人間を超えた崇高な仏さまに、父、母、兄の魂が安らかな世界に行き、いつまでもいられるよう、何もない空間に向かって手を合わせて「どうか、お願いします」というよりも、もっと自分が集中しやすいように、本来、肉眼では見ることができない観音菩薩をイメージして自分で彫ってみようと、仏師に会いに行きました。―供養とはそもそも何なのでしょう。人は亡くなると、肉体は消えてしまいます。でも、肉体を運転していたドライバーとしての魂、霊は、悟りを得るまで何度でも生まれ変わってくるわけです。輪廻転生というものですね。だから「今生」がとても大事です。今をよく生きることが、次の新しい人生のステップになりますから。今、よくないことをやって、来世をよく生きようと思っても、それは無理なのです。インドでも、ヒンズーやバラモンはまったく同じ説き方をしていますが、もっと露骨で、今あるのは前世の結果だから、「もう諦めろ」って言うんですけどね(笑)。しかし、お釈迦さまは、今からでも、ちゃんと生きれば大丈夫、と教えている。あの世に逝ってしまった霊というのは、自分では成長できないので、同じ境地にじっといるしかない。でも、こちらに残っている人たちが仏さまを介してお願いすれば、仏さまは必ず現れて、光を当ててくれる。仏の力で導いてくれるというのが菩薩如来の約束なんです。般若心経やさまざまなお経には、それが書かれたときの仏の約束があって、たとえば般若心経は、観音菩薩を呼び出すためのSOSと考えたらいいです。仏さまは必ず仏さまの救済の導きの光を当ててくれます。ぼくの場合も、祈りが通じた感じがしましたよ。「わかった」と言ってもらえた感じがしたんです。父、母、兄3人が光り輝いて喜んでくれている感じがする。そうすると、私も一緒にうれしくなるわけです。―私たち臨床検査技師は医療人として、生死の境にある患者さんのために救急救命のための検査を担当し、そのための認定救急検査技師制度も運営しています。生命の尊厳とご遺族の深い思いにこれからも寄り添っていきたいと思います。仏教編仏教への関心の背景―テレビで、お坊さんが大勢出演するバラエティ番組が人気を博していますね。ぼくが感じることですが、そのときの世相とか、世の中の流れに一人ひとりがすごく影響滝田栄作 地蔵菩薩像(一般公開中)平成29年3月、奈良薬師寺による気仙沼市での東日本大震災七回忌追悼・復興祈願法要において本尊とされた。

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