Pipette Vol.16 Summer 2017
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4ーに参加することになりました。そのツアーでベーリンガーマンハイム社に行ったら、正面に北里先生の銅像が置いてある。北里先生のことをみなさんがよく知っておられて、北里研究所も捨てたものではない、自分が思っている以上に世の中は評価していると理解できました。「北里でもう少し頑張ろう」という気持ちが出てきたのです。北里先生は、旧制の東京帝大の医学部を出た人たちの歩みとはまったく異なっていました。学生時代にすでに医道論という論文を書いて、その論文の中で、「医学者の使命は病気を未然に防ぐことにある」と述べているのです。お医者さんというのは、病気を治そうということではなくて、むしろ病気になる前に、健康を維持するためにやらなければいけない、つまり公衆衛生を説いているのです。ですから、北里先生は、内務省で、今の厚生労働省ですね、予防医学の道に進みます。やがてドイツに留学する機会を得て、ドイツで破傷風の純粋培養を成功させるのですが、ここがまさに北里先生のやり方で、破傷風菌の純粋培養ができたと喜ばずに、破傷風にいかにかからないかに向かっていくわけです。そして、やがて抗体を発見します。この抗体こそ、今でも通じる基本的な抗体療法です。1890年、37歳のときです。その後、帰国してから翌々年に、今度はペスト菌を発見します。ゴルフを趣味に―いわゆる過労でしょうか?少し頑張りすぎたかもしれませんね。私は学生時代にNMR(核磁気共鳴装置)を使いこなすことができました。その当時、60メガヘルツで天然有機化合物の構造を決めるという人はほとんどいなかった。だから、ロイコマイシンやスピラマイシンなどが市販されて、実際にお医者さんたちが使っているにもかかわらず構造式がわかっていない時代に、私がきちんと整理をして、分離して、構造を決めて、発表していったのです。ロイコマイシンは秦先生、スピラマイシンはフランスの研究者たちが見つけたものですが、人が見つけたものの構造を決めるというだけでは、見つけることの苦労を考えると、あまりフェアではないと考えて、自分も物を見つけてやろうという挑戦をしていきました。そうしているうちに、食欲はない、目眩はする、研究意欲も衰えてきて……。とくに、目眩はなんとか治さなければいけないということで、精神科を受診したら、「あなたの話を聞いていると、それは仕事のしすぎですよ」と。当時、アパートから銭湯に行った帰りに、硬い棒のような物を自分が持っていて、何だろうと思ったら濡れタオルが凍っていたというエピソードまでありました。それぐらい考え詰めていたのですね。仕事以外にも何か瞬間的でも打ち込めるほうに考え方を持っていくことはできないか。「例えば、パチンコとか、ゴルフとかはどうですか?」と言われました。―パチンコはなさっていたのですか?間もなく教授になるところだったので、パチンコをやったこともありましたが、「あの先生はパチンコ屋にしょっちゅう行っている」というのはどうも(笑)。学生たちにも影響があるだろうということで、ゴルフを選びました。文子も同席だったので、家では何はばかることなく公認でゴルフに出かけていました。そのうちに、また、のめり込んで、始めて5年で、ハンディ5までいきました。―それはすごいです。ゴルフも身体を壊すぐらい練習されたのではないかと(笑)。研究もそうですが、ゴルフも頭を使わなければ駄目です。私は大学の教員ですから、週北里研究所の秦藤樹所長が発見したロイコマイシンの構造決定の研究で東京大学薬学博士号を取得。北里大学薬学部の助教授になり、スピラマイシンの構造決定の研究で東京理科大学理学博士号を取得。しかし、体調を崩し、その回復にとゴルフを始めた。聞き手 大澤智彦

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