Pipette Vol.17 Autumn 2017
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22015年ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生は、絵画などの美術作品のコレクターとしても著名であり、「絵のある病院」の実現にもつなげました。また、北里研究所の所長や女子美術大学の理事長として経営者としても大きな貢献をされました。※このインタビューは前号(第16号)の続編です。ゲスト 大村 智聞き手 大澤 智彦      (日本臨床衛生検査技師会理事)      (韮崎市立病院副技師長)美術編美術に魅せられて―かなり珍しい小学生ですね(笑)。ご自身は画家になろうとか美術評論家になろうという夢は一度もお持ちになったことがないのでしょうか?まったくそういう考えはなかったですね。ただ、好きだからなんでも集めてしまったというだけです。今でも、私は新聞やいろいろな雑誌、美術の記事は切り抜いて取ってあります。忙しくて未整理のままですが、いずれそれらを整理したいと考えています。私は美術学校を出ているわけではないですが、美術に関することについては独学で勉強したと思っています。―社会人になって給料をもらったら、12カ月払いの月賦で絵を買われたそうですが、これもまたかなり珍しいサラリーマンですね(笑)。海外出張先でも必ず美術館に行かれました。ご自身を「美術中毒」と自認されるほどです。そこまでほれ込む美術の魅力とはなんでしょうか?いっときを忘れて、絵のことを思っているというのは、その間に脳の細胞が再生されていて、今度は、仕事であるサイエンスのことも出てくるんですよ。ただ、今はそれどころではなく、あちらこちらで講演ですからね。昔は、研究でどんなに忙しくても、銀座の画廊を回って、絵を見て歩いていました。おもしろい絵があれば値段を聞いておいて、「いずれおカネが貯まったら」と言ったりしていましたね。色紙にも書くことがありますが、私は、「美しいものは人を養う」と思っています。ですから、美術と私は切っても切れない生活をしてきたということです。―『人生に美を添えて』のご著書もあります。これは、『美術の窓』という雑誌に連載していた原稿が面白いから本にしようという話があって、了解したのです。美術を通して、いろいろな人との出会いがあったのですが、そのことについて書いています。この間も、全国美術館連盟の会長で、世田谷美術館館長の酒井忠康さんと対談をしました。酒井さんもこの本を読まれたのでしょう。「自分たちは絵の専門家だけど、驚きました。これだけいろいろな人と出会い、いろいろなことを考えて行動した人というのははじめて」と話されていました。でも、私は好きなことをやってきただけで、無理をしたという気もないですし、楽しんでいただけの話なんですね。―先生は絵画をご覧になるときは、飽きずにずっと同じ絵をご覧になるのでしょうか。忙しいときは10分ぐらいで見て回るだけということもあります。展覧会に行っても、さっと見て回っておいて、印象に残った絵があれば、そこにもう一回戻って見るというやり方をよくします。―選択集中型ということでしょうか。そうですね。絵の見方も、私独自の方法でやっています。もう一つは、画家に対しての知識を持って絵を見にいかないことです。まず、先に絵を見て、そこでその人の経歴を調べてみようとか、調べることもないなとかやるわけですよ(笑)。―先入観を持たずに入っていくわけですね。それが美術作品に出合う大事なことだと私は思っているんです。作家の経歴から入るのでは小学校高学年の頃から、新聞やカレンダー、母親が購読していた『婦人画報』などの絵や美術の記事を切り抜いて膨大なスクラップを作成。大村先生のご自宅で「この庭も自分で設計したんですよ」

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