Pipette Vol.17 Autumn 2017
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8第 回17水戸黄門 水戸黄門(徳川光圀)(みとこうもん・とくがわみつくに)常陸水戸藩の第2代藩主。初代藩主頼房の三男。長男頼重(後に高松藩主)―次男は早世―を差し置いて自分が6歳で世子(世継ぎ)とされたことに悩み、振る舞いは傾かぶ奇き(不良)で遊飲ばかりか辻斬りまで行った。18歳で司馬遷の『史記』伯夷伝を読み改心。34歳で藩主となる際、兄頼重の長男を養子とし世子とすることで義を貫き、積年の悩みを解決。主君への殉死禁止、水道設置、神仏分離、彰考館設置や『大日本史』編纂などに取り組んで、後の水戸学の基礎を作った。若くして「詩で天下を取る」と和歌にいそしみ、当代一の歌人であった京都の冷泉為景と親交を深めた。63歳で隠居後も、古墳調査、『救民妙薬』編集、子飼いの重臣藤井紋太夫の手打ちなど衰えを知らなかった。グルメだった光圀も72歳頃から食欲不振が目立ち、食道がん(推定)で73歳没。※本編はフィクションです。徳川光圀様 72歳検査結果報告書私は自慢じゃないが……江戸と水戸を除けば、関東の日光、鎌倉、房総、熱海くらいしか知らないのだ。とはいえ、三度も作り直した快風丸で蝦夷地の探検をさせたことはあるぞ(※)。どんなところか興味しんしんそれより、私の「後楽うどん」でも食べないか?明国では拉麺(ラーミェン)と呼ぶらしいが。餃子、チーズ、ワイン。すべて舶来品。食してうまし!大好物の酒も進むぞ!約4百の製薬方法を記した書物は、貧しい民の命をこれから救うことだろう。侍医・井上玄桐それはいけませんな、殿。しかし、最近、めっきり食が落ちた。のどにつかえて酒も飲めん……。※1682年、1685年と2船建造後、第3船を「快風丸」と命名。1688年、3年分の食糧を積載し、那珂湊から3度目の出航をさせたものの、石狩川まで到達する40日間の探検調査に終わった。検査項目検査結果内視鏡検査門歯から26cmから31cmにかけて全周性の2型腫瘤を認める。CT食道中部に全周性の壁肥厚を認める。左肺野には炎症か転移かの陰影を認める。病理検査食道粘膜は異型扁平上皮がシート状に配列し増殖しており、間質浸潤を伴っている。扁平上皮がんが考えられる。CEA2.0ng/mL(基準値5以下) ※腺がんで上昇SCC2.1ng/mL 高値H (基準値1.5以下) ※扁平上皮がんで上昇

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