Pipette Vol.19 Spring 2018
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●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 林家たい平3「明日、課題提出できるかな」と苦しんで心がざわついていたのに、こんなことでくよくよしていていいのかな、なんとかなるんじゃないかなと思えた。落語を聞いて笑って、僕の心が元気になったんです。失敗している人、落ち込んでいる人、哀しい思いをしている人を、落語という「画材」を使って、幸せにできるんじゃないかと、そのとき、心の中で答えが一致した。僕は落語で人の心をデザインしていけるんじゃないか、と。だから、まったく違う世界に進んだとは思っていないんですけどね。―人を幸せにしたいというのが根本にある?実家が洋服屋をしていたでしょう。毎晩お客さんとかが来て笑っていると、家族も笑顔になれると、子どものころに自然に学んでいたこともあります。―落語は表情や仕草を含めた芸ですが、声だけのラジオで落語の神髄を体験したのですか。落語は人の心に絵を描けるんだと感じました。「たい平さんの落語を聞いたよ」と言われることがありますが、僕を見にきているのではなくて、それぞれのお客さんが頭の中のスクリーンに落語の世界を描いているんでしょうね。人との出会いが大切―それでも、1社だけ就職面接を受けましたね。落語家になると決めていたので、洒しゃれ落ということもありますが、せっかく大学に行ったのだから、就職活動の経験値は落語でも生きるのではないかという思いからですね。大学卒業という経験もしてみようと思い、入門は卒業後です。―大学4年の春には落語をする一人旅を。僕が落語家になろうと決めたときは、バブルで仕事も就職先もいっぱいあるし、逆に落語の寄席には客が3、4人しかいないことも。こういう世界に飛び込む勇気も必要で、JRの「青春18きっぷ」で、〝落語一人旅〟という風呂敷包みをしょって、着物姿で東北を回りました。旅先で、電話で交渉して落語をさせてもらいました。―そのころ旅先で知り合った方とは今も。人と人との出会いってすごいと思います。今も大切にしていますし、応援していただいています。石巻の老人施設を回ったとき、日ごろは部屋に閉じこもり気味の80歳のおばあちゃんが、うれしそうに三味線を弾いて、僕を盛り立ててくれたりしました。―卒業後には林家こん平師匠に弟子入りし、故初代林家三平師匠の海老名家で住み込みをしながらの修業は大変だったようですね。6年半、他ひ人と様さまのおうちに置いていただくというのは、終わってみればすごい体験だったなあと。そこが原点というか、師匠の家族の中に異分子としての自分が入っても、家族が揺らいではいけない。この家族を楽しませられない人間が、将来、百名、千名といったお客さんを楽しませることはできないと思いましたね。―海老名家のおかみさんにもかわいがられ

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