Pipette Vol.19 Spring 2018
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4た?「あの子がいるといやねえ」なんて言われたら、家から出されてしまうから、どうしたら喜んでもらえるか、毎日考えていました。―気が休まる時間がなかったのではないですか。夜12時から30分、銭湯に行って、それが自分の時間でしたね。―たい平さんには、もともと人を楽しませる天性の部分があると思います。あの母親譲りということで(笑)。実家のある秩父には独演会などで帰りますが、日帰りなので実家にはなかなか泊まれない。けれども、両親もすでに80歳を超えて、あと何回会えるかと思うと、今日行けるかなと思えば、車で行って、顔だけ見て帰ってきます。あのとき、行っておけばという後悔はしたくないです。―ところで、住み込み時代と学生寮の生活を比べると、どちらがつらかったですか。それ、聞きますか。うーん。学生寮のほうかな(笑)。ちょっとでもうるさいと先輩が2段ベッドを下から蹴飛ばしてくるわけです。なんとかこの環境から脱出しようと大家さんのところに行ったら、僕がご家族に気に入られていたので、大家さんの母屋の部屋に一人で住めることになりました(爆笑)。今も、そのときの大家さんはよく寄席に来てくださいます。―その要領のよさなら、住み込み時代もうまくできたと納得です。人とのつきあいを大事にする点はすごいと感心します。今、この人と出会ったのは何か理由があるからと考えて、大切にしています。一方で、今、離れていくのにも何か理由があると思って、後追いや深追いはしません。また出会うべきときには出会えると思って。臨床検査技師とのかかわり―進路という点では、私の場合は、家族の勧めで手に職を持ったほうがいいと、国家資格者である臨床検査技師の道に進みました。同窓会のときに、あなたの就職のことは聞きました。だいぶ前に埼玉県で行われた臨床検査技師の学会にも呼ばれたし、奇遇だなあと。でもあなたは母性にあふれた人だから。―私の母性?自分では気づかないかもしれないけれども、学校時代からいつもにこにこしていたし、誰かに何かを捧げたいという気持ちがあったから、臨床検査技師になったと聞いて、なるほどなあ、導かれる方向に行ったのだなあと思いました。―技師学校に入って1年で、母が末期の胃がんで亡くなりました。病気の早期発見の重要性を感じて、養成学校に行き直して、現在専門にしている病理・細胞診という専門分野の資格を取りました。今は検査の管理職の立場になったのですが、学会に行ったり発表したりしています。たぶんそれが大切なことで、そうでないと後輩のほうが、身動きが取れないでしょう。あなたが動くことで、私たちも自由でいいんだという気持ちが持てるから。―たとえ顕微鏡を見ていても、その先に患者さんがいるので、あくまで人のために検査の仕事をしたいですね。悲しかったとは思うけれども、おかあさんががんになって、今の道に進むきっかけになったわけでしょう。僕は、出会いは必然だと思っていたけれども、最近は、偶然の出会いを必然に変えていくという気持ちになりました。じじいになってきて、そういうことをいっぱい考えるんです(笑)。なんで僕は落語家なんだろう、とか、なんで『笑点』に出ているんだろうとかね。―以前出演されたという日本医学検査学会(第52回)は15年くらい前ですが、そこでは学会ポスターのデザインもされたんですね。埼玉県での開催だから地元にゆかりのある人を、という理由で頼まれて出演し、ついでに中学生のようなイラストまで学会抄録集(平成15年)の表紙

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