Pipette Vol.23 Spring 2019
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●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 荒木 由美子7ことがありました。そんな経験からも、介護に一生懸命な皆さんには、心の息抜きをさせてあげたいんです。―身内でも難しい介護をここまでできたのは、やはりご家族の優しさや言葉の力があってできたわけですね。義母のためにもやりましたけれども。結局は夫のために私はやったんだと思います。―ご主人も幸せですね。でも、九州を離れたときの覚悟があって、何の抵抗もなく介護の現実を受け止めることができたのでしょうか。こんなに好きで16歳で芸能界に入ったのに、勝手に辞めて結婚を決めて、たまたますぐに介護がありましたが、私の大きなテーマはこれなんだと冷静に受け止めました。何年かかることかわからないけれども、これで結果を出さなければ、と。介護を始めて10年たったときに、「うわぁ、まだなんだなあ」って。芸能界を続けていれば何かできたこともあるかもしれませんが、私にはもう何もない。ここで夫のために頑張れば、何か答えが出るんだと。―答えを出すというのは、止めないで最後までやりきるという意味なんですね。施設に義母を入所させることになったときは、ものすごく苦しみました。在宅でやり終えるつもりでしたから、自分を責めました。「自分は決められないから、あなたが決めて」と夫とけんかになったり。夫は「何で人の手を借りるのが、そんなに嫌なんだ」って言うわけです。「人の手を借りることでほってしまったかのように思われるし、今まで頑張ってきたことが誰にも評価してもらえないんだ」と思いました。「そんなことではない」って夫は言うんですね。結果的には夫の決断がなければ、私もぼろぼろになっていたでしょう。夫は私のことも冷静に見てくれていたんだと、今は思います。そこまでこだわったのはなぜかわからないのですが、介護をされている方はみなさん同じなんですね。田舎に行くほど周りの目もありますしね。今では「施設入所も自信を持って決断しなさい、間違っていないから」と言うようにしています。―義母さまもある意味で幸せな認知症でしたね。最期に私にちゃんと挨拶もしてくれましたし、本当に認知症だったのかしら?これまで芝居していたんじゃないの? っていうくらい(笑)。私の心は伝わって、義母は向こうの世界に旅立っていきましたし、義母の言葉に自信を得て、それから仕事を再開しました。専業主婦で普通の介護をしただけだし、特別の能力があるわけでもない私の第二のステージを作ってくれたのは義母だったと、心から感謝しています。長いブランクで仕事の再開は怖かったのですが、背中を押してくれたのは夫の湯原でした。「堂々と行きなさい」って。インタビューを終えて介護するご家族の思いに改めて触れて、今までに増してしっかりと認知症の検査に関わるとともに、啓発活動にもより責任を持って取り組みたいと思いました。(取材 平成30年11月30日)      *次回は、人気のTV番組『プレバト』で俳句の才能査定を担当する俳人の夏井いつきさんをお迎えします。どうぞお楽しみに。荒木 由美子Araki Yumikoプロフィール●1960年、佐賀県生まれ。1976年、「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞し、芸能界入り。アイドルとして大活躍。司会やドラマなど数々のレギュラーを持つ。1983年、歌手・タレントの湯原昌幸と結婚し、芸能界を引退。20年にわたる介護と子育ての日々を送った後、芸能界復帰。TVやラジオのコメンテーター、介護や家族にまつわる講演で活躍中。

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