Pipette Vol.25 Autumn 2019
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◆梅毒とは梅毒は性交渉や胎盤を介した垂直感染(先天性)により「トレポネーマ」感染によって引き起こされます。梅毒の潜伏期間は3週間で、症状としては経過によって1期~3期に分類されます。感染から90日位までを第1期(感染後約3週間)とし、局所に無痛性のしこりやただれを認めます。1期の症状は自然に治ってしまいます。さらに第2期(感染後数カ月)に入ると皮膚の赤い斑点(バラ疹)が生じたり、全身のリンパ節腫脹を認めたりします。その後、しばらくは無症状になりますが、第2期の症状が再燃します(潜伏梅毒)。第3期(感染後数年)になると神経系や心血管系、皮膚・骨。肝臓などに肉芽腫(ゴム腫)をつくったりします。場合によっては死に至ることもあります。現在では、比較的早期より治療に入るため、晩期顕性梅毒に進行する人はほとんどありません。しかし、治療が不十分であった場合には、痙攣、めまい、人格変化など呈することがあります。◆日本での梅毒の現状わが国の梅毒感染者は、ペニシリン系の抗菌薬などの治療薬が開発されたのを機に劇的に減少しおり、過去の病気と思われてきましたが、2010年以降は増加傾向にあります(表1)。また、最近は、若い女性に感染者が増えているのが特徴です。妊娠中に感染した場合には、流産や死産、先天性梅毒による子供の神経障害などが懸念されます。患者を減らすためには適切な治療を早期に始めることとともに未然に感染を防ぐことが重要です。◆梅毒の検査梅毒に感染した場合、感染した後、経過した期間によって症状の出現する場所や症状が異なります。適切な医師による診断と、血液検査(抗体検査)が必要となります。梅毒の感染を確認する検査としては、血液を採取して調べる(梅毒トレポネーマ感染により生体内に生ずる抗体を調べる方法)抗体検査と、皮膚にできた初期の結節から漿液を採取して、顕微鏡で直接に観察してトレポネーマ螺旋菌を確認する方法があります。現在では前者の方が主流となっています。抗体検査には2種類あり、梅毒トレポネーマに対する抗体を検出するTP抗原法(TPHA、FTA─ABS)と、梅毒トレポネーマ感染により破壊された組織に存在するカルジオリピンに対する抗体を検出するSTS法(ガラス板法、RPR法、緒方法)があります。ただし、STS法は梅毒トレポネーマ感染で組織破壊により発生した自己抗原(カルジオピリン様物質)に対する抗体、すなわち自己抗体を検出する方法であるため、梅毒以外の感染症や自己免疫疾患等でしばしば生物学的陽性(BFP)を呈することがあります。検査は梅毒罹患後4~6週間経過してから、STS法、FTA─ABS、次いでTP抗原法の順に陽性となっていきます。FTA─ABSおよびTPHA法は一端陽性になれば、終生陰性化しません。一方、STS法は治療によって抗体価が低下し、治療効果の評価に有効です(表2)。◆梅毒の治療と予防治療はペニシリンG(またはアンピシリン)が有効で、ペニシリンアレルギーのある人はテトラサイクリン又はセフトリアキソンが有効です。また、梅毒に感染した妊婦であっても、ペニシリンの静注にて胎児感染を防ぐころができると言われています。もし、加藤清正が梅毒であり、早期に治療を開始できていれば、日本の歴史も大きく変わったかもしれません。ただしペニシリンを発見したのは、1928年イギリスのフレミング博士ですから、300年以上後の話でしたが。感染を予防するには、避妊具の装着が必須ですが、それだけでは完全に防ぐことができません。感染リスクを正しく理解し、パートナーとともに検査を受ける等、予防策をとってもらうことが必要です。11◆梅毒の検査表1 梅毒患者の報告総数(2010~2017年)※2017年は暫定値厚生労働省:梅毒の発生動向の調査及び分析の強化についてより010002000300040005000600020102011201220132014201520162017(件)(年)6218278751,2281,6612,6904,5755,820表2 血清梅毒反応の鑑別STS法TPHA解釈対策−−梅毒感染なし、または感染直後感染が疑われれば数週間おいて再検査+−梅毒感染初期が疑われる再検査、FTA-ABSにより確認BFPが疑われるFTA-ABSにより確認++梅毒と診断抗体価の検査、治療を考慮−+治療後の梅毒、梅毒羅患長期FAT-ABSにより確認岡庭 豊編:イヤーノート2020 内科・外科編:メディックメディア:[H-73],2019より引用●清正は領内の治水事業に意欲的に取り組み、現在も熊本県にはその遺構が多く存在します。治水事業の多くが農閑期に行われ、農民たちは農業に従事する時間が確保できたといわれており、その業績から熊本県では「清せい正しょ公こさん」として今でも種々の史跡や祭りなどに取り上げられています。●朝鮮出兵の際、清正が山の麓に陣営を構えていたある夜、山から虎が現れ軍馬が襲われました。さらにその翌日には清正の小姓も虎に殺され、それに激怒した清正は家臣らとともに虎退治をはじめます。茂みから飛び出してきた虎と、鉄砲を構えた清正はにらみ合い、やがてしびれを切らした虎が、牙をむいて飛びかかったところを清正が、たった一発の銃弾で仕留めたのです。この逸話は「清正の虎退治」として知られています。

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