Pipette Vol.25 Autumn 2019
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●グッジョブ・技師のお仕事ゲスト 池田 清彦5の人は難しい。自分の学会では誰も考えていなかったようなおもしろいことを、隣の学会ではやっていて、そのアイディアを自分のところに持ってくると、何か新鮮なおもしろいことになる。学問分野が細分化されると、そういうことが難しくなってくる。生物をやっていても、生物だけをやっているのではなくて、物理ですごくおもしろいものを持ってくれば、応用できるしね。今のAIがそうですよ。生物がやっていることを機械にやらせてみるという話で、それは生物の知識がある程度ないとできない。いろいろなことを知っているということも大事なんでね。―狭い範囲で同じことばかりやっていても、豊かな発想というのはなかなか生まれないということですね。学会のことばかり考えて、頭の中にそれしかなければ、どうしようもないよな。―でも、そのほうが評価の点数は上がっていくという社会ができ上がってしまっている。そう。アジアで初のノーベル化学賞を受賞した福井謙一先生(1918─1998)は、「いつも頭の中に浮かんでいるアイディアは、だいたいろくなアイディアではない」と言っているんだよね。アイディアはいきなりポンと浮かんできて、すぐ忘れてしまうようなほうがいいものが多いから、アイディアが浮かんだときに、それをいつでも書けるようにしていて、寝るときにも枕元に紙と鉛筆を置いていたそうですよ。ぼくも、夜中にすごくいいアイディアを考えつくんだけど、次の日の朝になって考えてみると、たいていがらくただね。意識レベルが下がっているときには、自分ではものすごくいいアイディアだと思っても、実際は駄目なものが多い。―異文化、異分野の人が集まったほうが、いい考えが浮かんでくるというお話でしたが、学会が専門化しすぎて、ほかのところではどうなのかという話が出てこないのが現状だと思います。友だちも同じで、学校に行って理学部の人は理学部の、生物だったら生物の友だちしかいないということになりますよね。そうではなくて、たとえば生物クラブだと、生物が好きな文学部のやつや理学部のやつがいて、自分とまったく違う分野の友だちの話を聞いていると、おもしろいことを考えついたりするんですよ。構造主義を生物学に持ち込む―先生の場合、ご専門の生物学にいろいろな人の考え方が作用して、独特な思考が構築されたのでしょうか。ぼくは若いときから、哲学書みたいなものをしょっちゅう読んでいて、フランス語学者で哲学者の丸山圭三郎(1933─1993)の『ソシュールの思想』というのは、ほんとうによく読んだよね。ソシュールの構造主義を生物学に持ち込んで考えたのは、ぼくと生物学者で評論家でもある柴谷篤弘先生(1920─2011)がはじめてなんだ。「これは使えるぞ」と言ったら、柴谷先生が「そう、それ使えるよ。おれと同じようなことを考えているね」とおっしゃってくれて、最初の本を書いたのが1988年なんです。実は86年頃から、柴谷先生に「本を書け」と言われて、「書きます」と言ったまま、ぼちぼち書けばいいと思って、虫ばかり捕っていたの。あるとき、虫を捕りに行って、虫を見ているうちに、車ごと崖から10メートルぐらい落ちて死に損なってしまって……。全身打撲による傾眠状態で、1カ月ぐらい家でグタグタしていたかな。これはまずい、いつ死ぬかわからないと思って、構造主義科学論の冒険池田清彦著。多様性を重んじる構造主義科学論を提唱。あるべき科学の未来を説いた書。(講談社学術文庫)

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