Pipette Vol.25 Autumn 2019
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88対する取り組み方が違ってくると思いますね。そうすると、ただ単に検査しているだけではなく、自分でやっていることが楽しくなるようにやっていこうと思って、周辺の知識も増やすようになる。そういうことを考えながらやっていると自分の仕事にも張り合いが出るよね。―自分の興味があるところを調べたりするだけでも知識は増えますね。そして、同僚たちにその知識をちらっと言えば、一目置かれるでしょ。「あいつ、すごいな」と思われるのも、人間の生き甲斐だからね。何もわかってないと思われるより、そのほうがずっといい。―同じ仕事をするなら、楽しくなるぐらい、すごいなと思われるぐらいしたほうがいいですね。そうそう。あいつに聞けば何でもわかると思われているのと、「何もわからないよ、あいつは。ただ偉そうにしているだけだよ」というのは全然違うからね。学生が先生を尊敬する点は、ただ一つしかないんだよ。それは、先生は自分たちに比べて、はるかにいろいろなことを知っているということ。相当いい加減でも、そういう人は尊敬されるね。生物のことで、ぼくより知っている学生はいないからね(笑)。そうなったら、いい加減でも尊敬するしかないでしょ。そういうことなんですよ。インタビューを終えて池田先生は実に博学多才な方でした。ご専門の生物学のみならず、文学、哲学など多方面に渡る教養が溢れておられました。私も自分の専門知識の研鑽だけでなく、一般教養を身につけ「人間力」を磨かなければいけないと痛感しました。(取材 令和元年6月11日)       *次回は、400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーターのほか、社会に貢献するアスリートのロールモデルづくりを目標に多方面で活躍する為末大さんをお迎えします。お楽しみに。池田 清彦Ikeda Kiyohikoプロフィール●1947年、東京生まれ。評論家、生物学者。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授、東京都立大学理学博士。構造主義生物学の立場から科学論・社会評論等の執筆も行う。カミキリムシの収集家としても知られる。著書は『ナマケモノに意義がある』『ほんとうの環境白書』『不思議な生き物』『オスは生きてるムダなのか』『生物にとって時間とは何か』『初歩から学ぶ生物学』『そこは自分で考えてくれ』『やがて消えゆく我が身なら』など多数。がんばりすぎない治療、    がんばりすぎない介護滝野 本誌のメインの読者は、年齢が高めの患者さんや付添いのご家族です。そういった方々が、少しでも肩の力を抜いて治療に向き合えるようなメッセージをいただけますか。池田 今の状態がほんの少し改善するか、今のままでもあまりにも支障がなければいいのではと考えることだよね。完璧に治そうとすると、きつい治療をする。きつい治療は副作用が大きい。滝野 若い人は別ですね。池田 若い人は手術をして悪いところは取ってしまうとか、抗がん剤を使っても体力があって回復が期待できるから使うというのは当然。ただ、年を取ったら、騙し騙しやったほうがいい。騙し騙しというのは悪いことではなくて、あまりきついことをしないほうが生活の質は保たれるということだと思うね。滝野 今の医療は、患者が生きているということを優先していますから。池田 生きているということはもちろん大事だけど、生きている質の問題があるよね。同じ3年でも、病院に通い詰めての3年、ベッドの上での3年と、ときどき病院に行って、家にいながら楽に暮らしての3年では、全然違うでしょ。 夜、「寝ているときって気持ちがいいよね」と思えるのが健康な証拠だから、そういう状態で生きられるようにすることが大切になってくるね。滝野 なるべく痛くなく、苦しくなく、ゆったりできるといいですね。池田 ただ、患者さんに認知症の症状が出てくると、少し変わってくるね。本人はわからなくなっているから、周りの人がケアをして、その人の様子を見ながら、介護する側の負担にならない程度にやっていくということが大事だね。介護される人よりも介護する人のほうがずっと大変だから、介護する人も手を抜いたほうがいい。これは強く言っておきたいね。滝野 手を抜かないと悲惨なことになることも。池田 自分一人で責任を被らないほうがいい。ここでもがんばらずに、ある程度いい加減に、そして人の手を借りること。

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