Pipette vol.31 2021.4 Spring
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育ってきています。ですから、どんどん若い人が育つような環境づくりをしたいと思います。―今後具体的にどういった人たちをターゲットにどんな活動をお考えですか。当然トップ選手もそうなのですけれども、これからは、市民マラソンにも注目です。今、日本のランニング人口は1千万人いるのですよ。それを2千万人にしたいという話をしています。資金がなかったら強化も合宿も選手は遠征にも行けません。マラソンファンを増やして、理解者やスポンサーも増やす。そういう仕事をこれからしていかなければいけないと思っています。―今年の箱根駅伝は劇的な10区での逆転劇があったのでお聞きします。力を絞って追い抜かれないようにラスト3Kmを走る小野寺選手(創価大学)の心境はどんな感じでしょうか。気持ちを思うと、やりきれないですよ。陸上の世界では、1分でも大変なのに、3分だったらもう逆転など不可能なのですが、勝負というのはわかりませんね。あり得ないことが起こってしまったわけです。気の毒というか…。それにしても駒澤大学はたいしたものです。最後まで諦めないという姿勢で。大八木監督の「男だろう」で、男になりましたね。―最後になりましたが、私どもは病院等で臨床検査に携わる職能団体であります。日頃臨床検査や検査値についてご興味はございますか。興味といいますか、うちの息子がいつも検査してもらったりしていますから。私もよくお世話になっておりますし、皆さんに検査して頂いているおかげで、現在もノープロブレムで元気でおります。―臨床検査というものの認知度がなかなか上がりませんで、非常に困っています。これからは「患者さんと接する」ことも多くしていきたいと思っています。そうですね。患者は、お医者さんとお話するので。臨床検査技師さんと直接対話するということは、少ないですよね。―はい。しかし、医師も忙しい状況ですので、携わった仕事は責任を持って説明をしていくなど、シフトをしていたいと思っています。医師がやるべきことを、これから臨床検査技師さんが補佐するわけでしょうか。そこには患者さんとの信頼関係が必要ですよね。―そうです。信頼関係が無いと、説明をしても、聞いていただけないですから。息子の担当医の先生とは、うちの家族と人間関係がとてもできていて、我々患者や家族の話を本当によく聞いてくれます。「昴君、どうしようか」と、向こうから一方的ではなくて、すごく信頼関係があります。そうすると、「昴君は勉強しているね」とかいって、「君は本当に薬のプロだね」とか。自分で自分の薬を、どれだけ飲んだらいいかというのは先生よりも分かるわけです。臨床検査技師さんが、患者さんと信頼関係が構築できたら本当に素晴らしいと思いますので、大いに期待しています。―本日は長い間本当にありがとうございました。これからもまた瀬古さんのますますのご活躍とご発展を祈念いたしまして終わりとしたいと思います。ご家族やプライベートの話では優しい表情で話され、こと陸上の話になると一転、ストイックな一面を垣間見ることができました。オリンピックはもとより、学生時代から陸上界で数々の金字塔を築き上げてきた瀬古さん。その半生は、まさに陸上と共に走り抜けてきましたが、指導者となった今尚、瀬古さんは走り続けているのだと感じました。インタビューを終えて6|Pipette元オリンピックマラソン代表瀬古 利彦Seko Toshihiko         Guest:瀬古 利彦1956年、三重県桑名市生まれ。名実ともに日本のマラソン界を牽引してきた第一人者。高校時代には800m、1,500mでインターハイ2年連続2冠。早稲田大学進学後、故中村清監督の指導のもとマラソンをはじめ、福岡国際マラソン3連覇。モスクワ五輪日本代表となるも日本のボイコットにより不参加。その後、華々しい戦歴を重ねてマラソン15戦10勝と世界でも圧倒的な強さを誇った。ロサンゼルス、ソウル五輪マラソン日本代表。現役引退後は指導者の道に進み、現在は横浜DeNAランニングクラブエグゼクティブアドバイザー、並びに日本陸連マラソン強化・戦略プロジェクトリーダーを務める。The interview

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