Pipette vol.33 2021.10 Autumn
5/12

ずっと出てきて、それでこのメロディーはどういう風景なのかということを想像しながら、後で歌詞を付けていくという場合もあります。メロディーが非常に強ければ、イントネーションが多少違っても、それはメロディーの力で押してくれるのです。『秋桜』などは、メロディーが先にありましたので、これは「淡紅の秋桜が秋の日の」は歌詞のイントネーションが違うのですけれども、音の塊として言葉が入ってきます。こういう使い方は『雨やどり』もそうです。イントネーションは合っていないけれど、音の塊の中での言葉として聞こえてくるという手法があります。―『風に立つライオン』は、大学生時代、長崎に病気で帰られて柴田先生※2とお会いになった時に書こうと思われたのでしたよね。そうです。柴田先生と会ったのは、僕は田先生の酔っぱらって語るアフリカが素晴らしくて「ああ、素晴らしい」と思って、この人のアフリカをいつか歌にしたいなと思っていました。アルバムを作るたびにアフリカの歌を作ろうと思ったのですけれども、歌にするまでに15年かかりました。あれは歌詞から入った曲です。手紙を書くように、誰に宛てている手紙なのだろうと思いながら、実は自動書記のように書いていったのです。それで、最初はヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』というタイトルはどうだろうかと思いました。あれはタンザニアなのですけれども、アフリカの歌を書こうと思って遠いキリマンジャロの雪に思いをはせながら、手紙文を書き始めたのです。そうするうちに、自分が今一番伝えたいこととかが自然に出てくるのです。そのうちに、「この国は大事なところで間違ってしまったのかもしれません」というのが突然出てくるのです。常に思っていることなのでしょうね。この国はあそこで間違えたのではないかと思うことが結構あるではないですか。コロナに関しても、1年半たつと見えてきますよね。ですから、経済の部分ばかりが強調されるけれども、経済は生活を生かすけれども人の心を生かすわけではないだろうと。人の心を生かすのは、人の心だろうと思いますので、これを乗り越えて帰っていくと、やがて僕はここへ来てよかったですと、これから風に向かって立つライオンになりたいと思いますみたいな歌詞を書いた瞬間に、タイトルを消して『風に立つライオン』と書き直したのです。映画化されることになって、初めてアフリカに行った時、唯一僕があの歌を書き、あの小説を書いた中で想像もしていなかったものが風でした。同行した柴田先生が「まさしさん、これがサバンナの風ですたい、この風を感じてほしかったとですよ」と言うのです。本当に息もつかないような長い風が、強くもない、弱くもない風がずっと吹いているのです。これがアフリカの風なのだと思ったときに、ものすごく感動しました。「よく俺はこの風を知らずにあんな歌を書いたな」と思いましたが、振り返ってみますと『風に立つライオン』と、風という字が入っているのです。その時に僕はアフリカの大地で、この歌は神様が下さったのだなと思いました。―できるべくしてできたものなのですね。それから、さださんのヒット曲ですが、『関白宣言』から『関白失脚』を作ったのは、どんな気持を伝えようと思い、作られたのかをお聞かせいただけますか?この歌は、「俺より先に死なないで」という情けないお願いの歌だというのがわかると思います。しゃれで、もしもこれが徹底した恐妻家だった場合にはどうなるかというのは、コンサートでトークの合間に「おまえを嫁にもらったけれど、言うに言えないことだらけ」というのを、僕がしゃれで歌ったらば、とにかくお客さんにめちゃめちゃ受けたのがきっかけです。(笑)―作詞以外に、文筆活動に関わるきっかけとなったのは何だったのでしょうか?に、医療をテーマとした作品で「解夏」や『眉 4|Pipette※2.アフリカケニアで国際医療活動をした柴田鋐一郎医師Guest:さだまさし       特20歳ですから、まだ歌手になる前です。柴The interview

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る