Pipette vol.33 2021.10 Autumn
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と、黒に近いけれど真っ暗闇ではないという言い方でした。それをテーマに、30年近くたってから小説にしたのです。タイトルの「解夏」の由来は、昔のお坊さんは、雨期になると生き物が卵を産んだり草木が芽生えたりするから外を歩かないようにしようというので、みんな1カ所にこもって修行をしたのです。この時に修行している僧たちは、その当時は原始共産制で、持っていた物や財産すべて供出し、全員でそれを均等に分けて、「安居(あんご)」というのですが、外へ出ない時期をみんなでご飯を食べたりして共同生活をするのです。それで、お互いの悪い点を忠告し合って、「ありがとう」と言って、全国にまた分かれていきます。修行しながら全国を歩きますので、一生に二度と会わない人たちです。その解散する日のことを解夏というのです。つまり、悟るというのではなくて、これから目が見えなくなるのではないかという不安を持っている人というのは、目が見えなくなった瞬間にその恐怖心からは解放されるわけです。つまりそれを解夏に例えたわけです。―文筆活動や、曲作りにおいて、どのようなものに影響されたのでしょうか。クラシックが一番強い影響を受けている音楽かなと思います。僕はどうしてもこのメロディーが頭から離れないというときには、クラシックの原曲をそのまま使うことがあります。また、歌い方やギターの弾き方は、青春時代にサイモンとガーファンクルのポール・サイモンという人にすごく憧れたので、彼のギターの弾き方に相当影響を受けていて、コード進行なども初期のものは結構影響を受けたものが多いです。歌詞に関しては、永六輔さんです。彼のマインドというのが僕はすごく好きで、歌謡曲というのはいろいろな人が聞きますから、「親子で聞いて恥ずかしいような歌っていうのは僕は書かない」と永さんはおっしゃっていました。自身で歌詞を書くときにも、「これはやり過ぎだな」と思いながら書きますので、永さんは影響を受けた人と思っています。―数多くのボランティア活動をされておられます。特に「風に立つライオン基金」では、多くの方々が支援を受けておられます。私はさださんの「緊急事態宣言の夜に」を読んで初めて「風に立つライオン基金」の発足した経緯を知り、素直に応援したくなりました。この活動についてお話を聞かせていただけますでしょうか。この基金は東日本大震災の時に、個人の限界を感じたことからと思います。というのも「私は何の資格もないけれども、荷物を持つことならばできるよ」「誰かが困っていたらそこへ駆け付けて泥かきはできるよ」という人たちが集まり、奉仕団に登録してくれました。一人ではなく、たくさんの仲間ですね。また、医師や、看護師さんなどの資格を持った方は、医療団のほうに山』などの執筆には、何かきっかけ等はあるのでしょうか。柴田先生と出会ったということも一つ大きな原因だと思いますけれども、医療の人たちについては、常に気になっていました。医療というのは人間を維持するために助けてくれるものではないですか。病気になれば薬を処方したり、切って患部を取り除いてくれたり、人間を救うことを人間がやっているということがすごいなと思うのです。普通は神様とか仏様にすがるのですけれども、そういうところから切り離されて、科学的な側面がありますよね。例えば、僕は20歳の時に仲間と話をしていて、「自分の五感の中で何を奪われるのが一番つらいだろうか?」という酒飲み話からスタートしたのが『解夏』です。僕は音楽家ですから、多分聴力を失ったらつらいのではないかとみんなは言っていたのですが‥。20歳過ぎぐらいの時ですかね。僕としては、眼が見えなくなることが一番つらいと思い、そこから視力を失う病気があるのかを探したのです。すると、若年の糖尿病や、ベーチェット症候群があることを知りました。それにすごく興味を持って、これを将来小説にするとか、そういうことは全然考えなしに、とりあえず自分で取材をしてみました。詩人で作家の宮崎康平は灰褐色と言っていましたけれども、僕が会いましたベーチェット病で視力を失った方は、少し黒いけれども、真っ暗闇というわけではありません。光は一切感じないですけれども、見えていた頃の感覚で言いますボランティア活動       5

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