Pipette vol.36 2022.7 Summer
5/12

打ちますが、笠井さんを見ながら頑張っていますよ」と。それを頂いたときに、「ごめんなさい。僕は負けました」と言って、死んではいけないのだなと思いました。つまり、がんは駄目だ、悪性リンパ腫は駄目だ、抗がん剤は効かないといった諦めと悲しみを患者ご本人と家族の皆さんに僕が与えるのはいけないと思って、これは絶対に帰らなければ駄目だと思いました。それがまた自分の中での非常に生きる力にもなりましたので、私はそういった言葉を頂いた皆さんには大変感謝をしています。―人は人に励まされるものなのだなと思います。ご家族などの支えも大きかったのではないのかなと思いますが、いかがですか?私は家族には隠して検査をしていて、がんと確定診断がついたとき、妻に伝えましたが、今日に至るまで妻は一度も僕のがんに対しては泣いたことがないのです。普段の妻は、本当につまらないことでも泣くのにです。「ご飯を作ったのに誰も食べない」とか…ですが、僕のがんのことに関しましては、「しっかりしてよ。頑張ってよ」という励ましで背中をたたくばかりでした。後で聞きましたら、お父さんの前で暗い顔はしないなどと家族で話し合っていたそうです。そのように、家族みんなが私のことを支えようとしてくれたのはとてもありがたかったです。特にコロナ禍で誰もお見舞いに来られなくなっていましたし、家族とのつながりが極めて重要なのかと思います。   ―ライフワークである映画などのお話もお伺いできればと思います。ブログにもいろいろな映画紹介を載せていらっしゃいますよね。映画が好きになったきっかけを教えてください。『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』などが公開されまして、そのSF映画、あとはパニック映画の『ポセイドン・アドベンチャー』や『タワーリング・インフェルノ』など、今日の映画のヒット作の原点とも言える作品が生まれた頃に、僕は多感な中学生でしたので、それで映画にはまってしまいました。中学生の頃から年間20本ぐらい映画を見ていました。歌舞伎町の新宿プラザやミラノ座などでよく見ていましたね。―アナウンサー時代は睡眠時間がほとんどないような生活をしていらっしゃったとのことですが、その中で時間を見つけて映画館に足しげく通ったり、舞台を見ていらっしゃったということですね。年間150本の映画を見て年間100本の舞台を見ていましたら時間はなくなりますよね(笑)。映画は楽しみでありましたが、小倉さんや軽部さんという番組の共演者に負けないためにはどうするかということも考えておりまして…。また、演劇がもともと好きでしたから、それで軽部さんや小倉さんの上を行くために、演劇を100本くらい見ていたのです。演劇を見たことは力になりました。そういう意味では、楽しみでもあり、自分のスキルアップのための必須条項でもありました(笑)。ライフワークについて4|PipetteGuest:笠井 信輔The interview

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る