女優としてデビューのきっかけ藤田朋子―藤田さんが女優になられたきっかけなどお話しいただけますか?私は元々役者志望でしたが、それには劇団に所属することや、養成所に入ることが道筋だろうと思っていました。一方で、当時はオーディションブームで、いろんなところでオーディションが行われていました。「レ・ミゼラブル」のオーディションに関しては朝日新聞に広告が載るくらい大きな規模のオーディションだったのですが、母が「ダメで元々なのだから、受けてみたら」と言ったり、英語劇をやっていたサークルの先輩が「歌だけのオーディションらしいか iThentervew(役者)今回は女優でありミュージシャンでもある、藤田朋子さんをお招きいたしました。1987年ミュージカル「レ・ミゼラブル」で女優デビュー、1988年朝ドラヒロインとして「ノンちゃんの夢」でドラマデビューされています。インタビュアーは平田誠市。新潟脳外科病院で臨床検査技師として働いており、現在、地元の市民劇団に所属し、舞台や映像作品に出演などしています。藤田さんにお芝居や音楽の事、そして健康管理のことなどお聞きしていきたいと思います。ら、受けてみたら?」と、周りに勧められてオーディションを受けたら、合格してしまった、という感じです(笑)。―素晴らしいですね。1万人から50名くらいを選抜する超難関「レ・ミゼラブル」のオーディションを見事に突破され、それだけでもすごいと思いましたが、翌年の朝ドラもオーディションでしたよね。 そうです。当時の朝ドラオーディションは、俳優としてすでに活動している人しか応募資格がありませんでした。ちょうど「レ・ミゼラブル」に出たばかりの私は「大きいオーディションはどんどん受けてみよう!」という気持ちで挑戦したら、これもたまたま(笑)合格してしまいました。最終オーディションということでNHKへ行ったら、次の日の記者会見で配られる小冊子が出てきて、「君に決まりました」って言われて。ドッキリにかけられたような気持ちでした。―レ・ミゼラブルのオーディション確率と朝ドラのオーディション確率を掛け合わせると、天文学的な確率になってそうですね(笑)。 本当に! よく考えてみると、採用してくださった方が「逆に」チャレンジャーだったと思います(笑)。私みたいな素人(当時)を採用しようと決断いただけたことには、今でも感謝しています。―藤田さんは、その当時と、全然お変わりないと言いますか、いつまでも本当に若々しいのですが、何か秘訣のようなものはありますか? 特に「何か」をしていることは無いのですが、今この年になって思い返すと…いろんなことにいつでも興味を持って生活するってことは良いのかなと思います。また、何にでも「慣れない」で「発見を楽しむこと」や、新しいことに対して拒むのではなく、挑戦することも、何か関係しているかもしれないですね。年齢を重ねていって経験値が高くなってくると、「それは経験したことだから」と感動しなくなりがちですが、「もしかして知らないかも」と思って接していくことも大事なのかもしれないと思います。年齢にあった素材でいるためi2|PipetteThe interviewゲスト聞き手俳優新潟脳外科病院 病理部Guest:藤田朋子藤田朋子平田誠市医療法人泰庸会
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