Pipette vol.42 2024.1 Winter
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駅伝、長距離走、マラソンそして母へ‥―千葉さんは、長距離選手として中学校から本格的に陸上を始められたと伺っています。もとはテニス部だったとお聞きしましたが、最初に陸上を始められたきっかけを教えていただけますか? 中学3年生の夏ごろまでテニスをやっていまして、その後、陸上部の駅伝の人数が足りないので手伝ってと声をかけられたことがきっかけで、陸上の道に進みました。高校生で初めて陸上部に入って、本格的に活動を始めました。―立命館宇治は非常に有名な強豪校ですが、中学卒業前に、名門立命館宇治の荻野監督にお誘いいただいたとお聞きしました。高校で陸上部に入部された当時の印象を教えてください。1日目に練習に行ってみたら、周りの人たちは中学から陸上部で、しかも優秀な方たちが立命館宇治に来て走りますから、私はやったことがない練習ばかりで、全くついていけませんでした。翌日、全身が筋肉痛になり、足の裏にまめが5個ぐらいでき千葉真子て、とんでもないところに入ってしまったと思いました。全く場違いなところに来てしまったと、たった1日で思いました。(笑)―京都といえば、全国の都道府県代表の女子駅伝や高校の駅伝など、常に都大路を駆け抜けるという感じがします。千葉さんは当然名門校だったので全国も目指されたと思いますが、校内でのレギュラー争いは大変でしたか? はい。1日目でそのような状態ですから、まず練習についていくところから大変でした。女子の長距離部員だけで30人以上いる中で、レギュラーは5人です。当時の練習は、つらくて苦しくて逃げ出したかったです。トラックの横にサッカーゴールがあるのですが、走りながらも苦しくて、そのサッカーゴールに軽くぶつかって鼻血でも出たら、先生は休ませてくれるのではないかと、そんなことを考えながら走る心の弱い人間でした。弱い気持ちは誰にでもありますが、レギュラーになりたいという気持ちのほうが大きかったから、毎日チャレンジを続けました。チーム内の上位チームに入るという小さな目標を達成するのに1年半かかりました。もしその時に1年で諦めてしまっていたら、その後の未来は絶対あり得ないですし、まず軌道に乗るまでが何事においてもすごく大変で、お仕事やいろいろなことに対して、そこで諦めてしまう人は結構多いと思います。自分自身、何が何でもなりたいという情熱があったので、弱い心に負陸上競技との出会いそして駅伝選手へ iThentervew千葉さんは1976年生まれ、京都宇治市出身。宇治高校(現から長距離の名門・旭化成に入社、才能が開花する。10000メートルの選手としてアトランタ五輪で5位入賞、世界選手権で銅メダル(日本女子トラック長距離種目初)を獲得するなど国際舞台で活躍。マラソン転向後はけがに苦渋し新天地での再挑戦を決断、小出義雄氏に師事した。2度目の世界選手権はマラソンに出場し、銅メダルに輝く。第一線を退いた後は、ゲストランナーとして全国のマラソン大会に出演する他、「千葉真子BESTSMILEランニングクラブ」を立ち上げ、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行っています。立命館宇治高校)iマラソンランナースポーツコメンテーター日本臨床衛生検査技師会執行理事ゲスト聞き手The interviewGuest:千葉真子2|Pipette千葉真子白波瀬浩幸一般社団法人

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