Pipette vol.43 2024.4 Spring
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インタビューを終えてこれからの目標す。今は、トレーニング方法や扱う機械も含めて野球が全く違うので、オファーがあれば考えますけれども、昔の話をずっとしていても選手には響かないので、きちんとした数値や理論武装をしてやらないと、今の選手は駄目らしいですね。餅屋は餅屋でいいですけれども、もし私ができるとしたら、メンタリティーの部分は自分の経験でこういう時はこうしたほうがいいというアドバイスできるかもしれません。技術的なものはだいぶ変わっているので、逆に私がお金を払って本当は習いたいぐらいです。 ―FAの時、長嶋さんが槙原さんの家に来たことは、当時すごく話題になりましたよね?周りがFA、FAと騒ぎ立てて、大事になりそうだったので、自分から「巨人を出ません!」と長嶋監督に電話で伝えたところ、「君が必要だ」と言って止めてくれました。それで気持ちがすっきりして「分かりました」と言ったら、長嶋さんが「君の家に行く」と言いまして、「勘弁してください」と(笑)。 あの長嶋監督が一選手のところに来るのは筋が違い過ぎるから、私がホテルでもどこでも行きますから、そこでお会いしませんかと言いましたが、駄目でした。「私が君の家に行くことに意味がある」と言って来てくれたので、家の周りがマスコミで大渋滞になりました。私は、その後巨人にはずっといられました。2001年、引退と同じ日に長嶋さんも勇退だったので、長嶋さんに「あの時に止めていただいて、ありがとうございました。おかげさまで永     * くできました」と言ったら、「良かったでしょう。私は全部分かっていたよ」と言われました。本当かなと思いましたが、いい野球人生を終わらせてもらったので、最後にかけてもらった言葉もうれしかったですし、止めてもらったのも良かったです。―今後、槙原さんが目指される目標などございましたらお教え頂けると幸いです。ゆっくり過ごしますが、野球に携わる仕事はしていたいですね。去年のWBCも実際に見て興奮しましたし、やはり野球はいいなと思いましたので、今後もテレビなどで多少なりとも伝えていく仕事はしていきたいと思います。WBCは球界にとっても非常にいい出来事でしたし、それも含めて語り継がなければと思うので、そういう仕事を少しでもできたらなと思います。―最後に恐縮ですが、われわれは日頃、医療機関等で臨床検査を行い、国民の皆さまの健康増進のために日夜働いています。その私たちの仲間に向かって、エールを頂けたらありがたいです。この年齢になって、健康が何よりだと特に思います。先生方も含めてそこに従事される医療の人は大変だと思いますが、逆にやりがいもあると思います。健康を維持できれば人生はとても良くなると思いますし、健康の大事さを痛感しているので、今後もぜひ頑張ってほしいです。さいたいけつ現役時代はケガにも悩まされましたが、完全試合達成など投手として輝かしい成績を残し引退、メディアで見る明るい人柄のままの楽しい対談となりました。次回は、女性デュオ〝あみん〟で活動後、ソロのシンガーソングライターとしても活躍。2019年には急性白血病との診断を受け闘病、臍帯血移植を経て完全寛解し、現在コンサートなどを精力的にこなす岡村孝子さんをお迎えいたします。6|PipetteThe interviewプロ野球解説者槙原 寛己Makihara HiromiGuest:槙原 寛己プロフィール:1963年8月11日生まれ。愛知県出身。1982年大府高校卒業し、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。翌年4月16日阪神タイガース戦に初登板で完投勝利の快挙。この年、12勝を挙げて新人王に輝いた。1994年5月18日、広島カープ戦で完全試合を達成。プロ20年間で通算468試合登板、159勝128敗56セーブの成績を残し2001年に引退。現在はテレビ及び野球教室等、多岐に渡り活躍中。スポニチ評論家。TBS野球解説者。趣味はゴルフ、旅行。

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