Pipette vol.44 2024.7 Summer
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     3曲の創作についてですが、最初のころは、1年に1枚アルバムを作ってました。アルバムのコンセプトツアー、クリスマスツアー、野外コンサート、などのコンサートを3パターンで開催しながら、その合間に曲を作っていたので、締め切りに常に追われていました。若い頃は締め切りの前日に作詞作曲という感じで、私が楽しまないで作っていたら、きっと聴いてくださる方も楽しくないだろうなという思いが強くなって、散歩の最中に鼻歌で出てきたものを曲にしたり、浮かんだメロディーをすぐに録音はせずに一晩寝かせて、次の日覚えていたら録音するという感じで作っていました。今もそのような流れで曲を作っています。―一晩寝かせるようになったのは、何か理由があるのですか?面倒くさがり屋っていうのがあるのですが、次の日忘れてしまったら、それは私に縁がなかったのかなと思うようにしており、そんな考えからですね。―岡村さんは、ご自身で歌われることは勿論ですが、いろいろな方に曲をご提供されてます。ご自身の曲への想いがそれぞれのアーティストの解釈によって変化していくことに抵抗はないものですか?提供したことは42年音楽をしていて、高部知子さん、沢口靖子さん、安倍なつみさんの3人のみです。すごく忙しくて若い頃は、とてもじゃないけど自分の曲を書くのが精いっぱいで、ほかの方に提供する余裕がなかったので申し訳なかったと思います。一方で『夢をあきらめないで』や『待つわ』は、たくさんの方にカバーをしていただいています。提供させていただいた3曲も必ず自分でセルフカバーを、私の解釈でしています。(笑) 違う解釈といえば、『夢をあきらめないで』をスコット・マーフィ―さんがカバーされていて、毎週TV番組のエンディングで流れているんですが、アップテンポで全く違う歌い方で面白いと思ってテレビで流れてくる度に嬉しいですね。―ご病気のことをお聞きしてもよろしいでしょうか? 急性骨髄性白血病と診断されたのが2019年4月とのことでしたが、診断を受けた時の率直な思いを教えていただけますか?当時、病気に罹患するのは、10万人に2人くらいという数字を聞いて、「えっ、何で私が?」という気持ちと、不謹慎だけど「今宝くじを買ったら当たるのではないか」と思うくらいの確率です。病気が発覚したのは、当時、消化器内科に定期的にかかっていまして、定期検査の結果を聞きに行った時に「消化器内科的には全然大丈夫」って言われ、「だけど、血液の数値が変だよ」ということを教えていただきました。その時は、消化器内科の検査だったので、「いや、何かの間違いじゃないかな」と思いました。それから、もう4年ちょっと経ちました。私は物覚えが悪いのか物忘れがひどいのか、ほとんど忘れてしまっていますが、診断のため骨髄穿刺をした後に、消化器内科の主治医と血液内科の教授、血液内科の先生の3人に告知をされました。その時に消化器内科の先生が重い表情をされているのを遠くから拝見致しまして… 「ああ、この様子はそうなのだと…」って悟りまして、そこから入院や治療についての説明が始まりました。―ちょうどその当時、アルバム発売とコン曲の解釈急性骨髄性白血病の診断  

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