こわもて1人似たようなのがいるのです。片方は、大学に行って社会にちゃんと出ようとしていました。今考えれば心配していたのだと思いますが、私は好きなようにやらせてもらったという感じです。―その後30歳の時、1979年にコントグループ『シティボーイズ』を結成され、お笑い芸人として大成功されました。これはどういった経緯でしょうか? 養成所を出てアンダーグラウンドの劇団をつくりました。「アンダーグラウンド」は当時、あちこちで流行っていました。チケットは知り合い10人ぐらいに売って、「観に来て」という感じで。、客の少ないところで自分たちの好きな芝居をやって、「これで役者になれるわけないな」と、でもそれが27から28歳の頃だったので、ここまで来ちゃったからにはもうつぶしは利かない、大学も行ってないし、今からサラリーマンにもなれないと思っていました。私は劇団にいる頃から、まともな芝居をやらないで、お客さんを笑わせていて、「笑わせてなんぼ」みたいな劇団だったので「やろうよ」って言ったら、男が3人、女が3人来て、芝居じゃなくてお笑いの公演をその6人で始めたのです。その6人で始めたうちの相方が今のきたろうさんと斉木さんと私、これがシティボーイズになって。それで女性のほうは、今の松金よね子さんとかじゃなかったかな。(笑)そんな時、テレビ関係の方がちょうど観に来て、「テレビ、面白そうだから出ない?」と言われて、男3人は『シティボーイズ』、女3人は『シティガールズ』、これでテレビのレギュラーを頂くわけです。そのうち女性の方は、女優になったり、やめたりしましたが、俺たちは食いぶちがこれしかないので続けていくという感じでしたね。―私たちから見みると、正直すごく強面の、失礼ながらいつも怒っている大竹さんと真面目な顔をしている印象の大竹さんしか見てなくて、ドキドキしながら来たのですが、すごく笑顔が印象的です。我々は暴れん坊キャラが面白く、観ていて腹を抱えて笑っていたのですが、テレビ局を出禁になったというのは本当でしょうか? 当時『夕やけニャンニャン』という番組がありました。この番組内に私が尊敬するイッセー尾形さんがやっていたコーナーがあったのですが、ウケがあんまり良くないということで、その後釜を私にどうですか?っていう話が来たのです。自分にしてみれば、お笑い業界でイッセー尾形さんはその当時から脚光を浴びていて、彼がレギュラーでやっていたところ3
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