に自分が入ると言われても、イッセー尾形さんで駄目なのに俺みたいなのが出てウケるわけがないと思ったわけです。だったら、俺はしょっぱなから暴れてやれと。 どうせやっても何回かでクビになるだろうと思って。ここが私のちょっと勝手なところですが、クビになる前に自分から降りようと思って暴れたのです。そうしたら「暴れて、おニャン子に嫌われてどうしようもない!辞めさせろ!」っていう投書がたくさん来ました。それを見た局のディレクターは「みんなが辞めさせたがっているくらい人気があるぞ」と思ったわけです。僕は番組内で「俺にそんなに文句があるなら、生放送でハガキが1万通くらい来たら、番組をすぐ降りてやる!」って叫んだのです。そうしたら、あっという間に1万通ハガキが来まして‥結局降ろされました。でも、局としては私に人気があるってことはこの時点で分かっていたわけです。嫌われ者だけど人気があるやつを1回降ろすのですが、この後、こいつをどう使えばいいかって考えて、今度は詩人の役でまたこの番組に出始めるっていう、とんでもない形で私の首がつながっていきました。 だから、皆さんが恐れて怖がっていたキャラは私も意図したわけではないのですが、悪役や反英雄(ヒール)のキャラクターが乗った時にみんなが喜んでくれたというのは局でも分かっていました。そうすると、「じゃあ、この後大竹をヒールとして使っていこうじゃないか」と。私自身も自分の、バラエティですから、本来の思いを出すのではなくて「ヒールでいいのだと。暴れてりゃいいのだと。キレてりゃいいのだ」っていう設定をいただくわけです。だから、そうなるとそのほうが本性はありますけど、それを隠してヒールでも良いのであれば、「この着ぐるみを被ってテレビ出るか!」ということになるわけです。そのうちにこのヒールがどんどん大きくなっていったんだと思います。私は、それでずっと生き延びてきたのかなという感じです。―よく分かりました。大竹さんは本当に色々考えられているのですね。 私も生きるすべを一生懸命に考えています。 ヒールが通用した時に、私の尊敬するイッセー尾形さんが通用しなかった、そこに自分が行くんだけど、イッセー尾形さんより長くレギュラーでいられたっていうのが「ああ、そうか」と。自分でも納得して。自分の顔ですけどやっぱり凄いヒール顔なんだと思います、元々。それがおニャン子との対立関係にあったのが世間ではとっても良くなっちゃったのでしょうね。―1980年代に上岡龍太郎さんが「東京にオモロイのがおる」との噂を聞きつけ、大竹さんを関西の番組に呼び「何してもええ、好きなようにやれ!」とアドバイスされ、今の大竹まことさんが完成したそうですが、この時のエピソードをお聞かせください。 上岡龍太郎さんは、関西でたくさんの司会をやっていたりして、人気のある人でしたね。ある時、上岡さんが司会の番組に呼ばれました。その時関西の重鎮が転機4|PipetteThe interviewGuest:大竹まこと
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