たくさん座っていまして、いろいろ会話が進んでいきますが、私はずっと黙っていました。一番最後に上岡さんに「どうだ?」と言われましたので、重鎮たちの言った意見で異論はないという意味で「そうですね」と言って、その番組が終わりました。そうしたら、番組が終わった後、上岡龍太郎さんが私のところに来て、「ひきょう者」って言うのです。「何でもっとしゃべらんのだ」と。東京の番組は司会者が振る感じで、「何々さん、いかがですか」って。関西は振らないのです。好きにしゃべり出すのが関西流で、私はそれを知らなかったですし、重鎮ぞろいでしゃべるわけにはいかなくて、それで上岡さんに「もっとしゃべれ」って怒られて。それで「ああ、もう駄目か」と思ったら、1カ月後にまた上岡さんが僕のことを呼ぶのですよ。こっちは話が分かんないでしょ。こないだ怒られて帰ってきて、「もう駄目なのにまた呼んだ?は?」と思って。そこで、「あいつ、締めてやろう」と思って行って、今度は重鎮がいようがいまいが知ったことではない、暴れてやろうと思って最初から最後までベラベラしゃべりました。 その後、上岡さんが出てきて、「大竹!しゃべり過ぎや」って。上岡さんは僕のメチャクチャなところが、ご自身の若い頃にダブって見えたのかもしれない。その後も上岡さんは、事あるごとに関西の 何だ、これレギュラー番組に僕を入れてくれるようになりました。それは上岡さんがその後、東京に進出して来た時も一緒のレギュラー番組に「大竹」って入れてくれるわけです。上岡さんにはお礼を言っていませんけど、私は上岡さんを心の中で師匠だと、呼んでいいですかっていうふうな思いを、どこかの番組でしゃべったことがあります。―色々な芸人の方が最近は規制が多くて、面白い番組が作れないと聞きます。 ご無礼を承知でお聞きします。最近の大竹さんは暴れ方が大人しくなったようにお見受けしているのですが、やはり昨今の環境が影響していますか? 例えば今から10年前の僕が出ている番組なんかを今やっても、全部コンプライアンスで引っかかると思いますね。コンプライアンスはとっても大事だと思いますけど、ハチャメチャなことができなくなってきていますね。現在のタレントは皆、「それに触れたら降ろされる」というのも分かっているので、狭い枠の中で笑わせる方向に変わってきています。僕に言わせると「今の人たち、偉いな」と、「俺だったらこんな枠の中じゃできなくて、こんなこと言っちゃうのに」っていうところも、見ていたら言わずにうまく笑いで包んで届けるって。テレビがそうやって落ち着いてくると、テレビでできないことはネットに移っていますよね。ネットの中は良いことも悪いことも、ものすごくひどいことも言論も含めて自由ですよね。若い人たちはその中で生きていかなくちゃいけないっていうのは「こういう時代になった」と私は思っています。―オフの時はどのようにされていますか? この年で巧くなるわけはないのですが、ゴルフをしていますね。行く度にスコアが悪くなる。不思議なくらい悪くなる。不思議なくらい飛ばなくなるものですよね。ゴルフ仲間もみんな高年齢化しているので‥でも仲間がいるので、オフの時はゴルフくらいですかね。―以前(2018年)、腰椎分離症で入院されていますが、入院・治療はどうでしたか? わたしなどお酒が飲めないと考えるだけでどうかなりそうです。 6年前くらいですかね。腰痛が酷く、座っていられないくらいの症状でした。当時マネジャーさんの車でラジオ局まで行くのですが、椅子に座れないので、スタジオに布団敷いて寝ながら、マイクで「こんにちは」っていう感じで‥1週間くらいそんな感じで放送をしたと思います。さらに、酷くなって、今度は局にも行け令和版大竹まこと病気になって5
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